外部規範の過剰な内面化。膝と一緒に空を飛べるか?(『破局』遠野遥)

読書

陽介と膝とを比較

こんにちは

遠野遥さんの『破局』は、陽介と膝とを比較するとテーマが分かりやすいかとお思いました。この2人はほとんど対照的な人物として描かれます。

まず女性関係ですが、膝が初対面の灯に対して自分の考えをベラベラ述べてしまうのに対して、陽介は表向き非常に洗練された振る舞いをします。普段の生活も陽介がストイックに対して、膝は自堕落。就活も結果が対照的ですね。

この2人の違いをまとめると、他者への態度、という形になるかと思います。膝は、不器用で自己と他者の関係性に苦悩しています。お笑いもうまくいきません。就職にせよ女性関係にせよ、自分と他者との関係がうまくいかないんですね。必然的に、「外」や他者を意識することになります。

これは遠野さんのデビュー作である『改良』の主人公に近いです。破局では、主人公が性暴力を受けるシーンがあり、そこで他者を受容するのか、自己を守るのかという問いが突きつけられることになります。膝は、最終的には就職に成功して、他者との一定の関係構築に成功する。これまでの文学作品に多いタイプの主人公ですね。

一方、陽介の他者への態度は、一見洗練されているようなんですが、外的規範が内面化し過ぎて、自分の意思なのか与えられた役割なのか、わからなくなってしまっている。これは、ラグビーも女性関係も同様です。この二つだけは、自分の意思であるようにも読めるのですが、外部規範も非常に大きな役割を果たしています。

ラグビーについては、コーチという役割を与えられたから、目標達成のためにその役割を演じているだけなんですね。ちょっと余談ですが、作中ラグビーという単語が出てこないのは、陽介が自分の意思でラグビーに愛着を持っていないからなのかなとも思いました。

また、女性については、20代前半の男性ということを考慮しても、やや異様な性欲を持っています。そして、自分の性欲を発散するために灯にサイコパス的にアプローチしているようにように見えますが、これは父親から女性に優しくしろと言われたから、それの役割を果たしているつもりで少なくとも本人はいるわけです。自己と他者の境界が極めて曖昧で、ほとんど一体介してしまっているんですね。

「外」の存在を意識

実は、破局を迎える前に、膝からの手紙もあって一瞬「外」の存在を一瞬意識するシーンがあります。膝は、就活を通して、自分が周りを見えていなかったことに気づいて、そのことを陽介に知らせます。

ベランダの手すりにスズメが止まっているのが見え、外、と思った。振り返ると服や大学の教科書、プリントなどが散乱した暗く湿った部屋があった。

ここで、一瞬外を意識しています。暗く湿った部屋というのは、自己も他者も存在しない、灯すら存在しない陽介の心象を表しているでしょう。そして、警官に倒された時、

警官の肩の向こう、雲ひとつないよく晴れた空が私の上にあった。空をこんなふうに見上げるのは久しぶりで、私はこれをもっと早く見るべきだと思った。

これを見ると、自己の中で分かち難く結びついてしまった、自己と他者という関係性を再構築する契機になるように見えます。しかし、最後の最後ですね。

私はいつだって、眠りたいときはすぐに寝付くことができるのだ。

これは、自分が自分に求めている役割を引き続き無自覚に演じていることを示しています。膝が就活を通して他者の存在を認識し、将来もう一回お笑いにチャレンジしよう、空を飛ぼうと決意するのと対象的です。個人的には、膝がもう一回お笑いをやる時、今度は相方として陽介一緒にステージにあって欲しい気持ちはありますが、この記述を見ると、陽介は、他者の存在に無自覚という状況が継続することが示唆されていて、やはり破局というしか無いかもしれません。

遠野さんとしては、我々は多かれ少なかれ、こうだろう?という問いを突きつけているのかもしれませんし、実際そうかもしれませんが、テーマを先鋭化させ過ぎていて、正直陽介に自分を重ね合わせることが難しいかったですね。そういう方も改良は受け入れやすいと思いますので、破局がダメだったという方も改良はお勧めしたいですね。

本日は以上です。

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