AIの時代でも人間が囲碁を打つ意味はなくならない 最速で強くなる!柳時熏の囲碁上達道場

読書

お疲れ様です。

今回は、柳時熏先生の『最速で強くなる!柳時熏の囲碁上達道場』を読んだ感想を共有したいと思います。囲碁の魅力はいろいろありますが、技術だけではなく、やはり人間ドラマにあるという思いを強くしました。

「観る専」でも楽しめる

囲碁の本という意味では、去年一力さんの『AI時代の最善手』を読みましたが、これはAIを中心とした現代の囲碁をめぐる環境変化に、棋士として、また業界としてどのように向き合うのか?という一力さんの考えをまとめたもので、読者の棋力向上を目的とした解説書ではないんですね。

一方、今回の柳時熏先生の本は、技術書です。私はもっぱら観る専なので技術書を読むのはもう20年以上ぶりかもしれませんね。棋力向上を目的にしていた訳ではないので、最初は解説だけを読み飛ばすつもりだったのですが、いざ読み始めると本譜や参考図を行き来しながら手順を頭の中で再現してしまったりして、技術部分も意外に楽しむことができました。

私は打たないのですが、観戦は好きなので、棋力が向上するとより対局を深く味わうことができるかと思います。その意味では、囲碁強くなりたい人はもちろん、私のような観る専の方でも楽しめると思います。

埋れてしまったドラマ・思い(自戦解説の魅力)

もう一つ、自戦解説も面白いですね。2002年の王立誠さんとの棋聖戦ですとか、仲邑菫さんとの対局などが解説されています。

特に印象的だったのが、王立誠さんとの棋聖戦第6局です。このシリーズはとかくダメ詰めの段階でルールの解釈が問題になった第5局が注目を集めがちですが、この本では第6局が解説されています。柳時熏先生は中盤で会心の打ち回しを見せて優勢を築きますが、そこから逆転負けを喫してしまい、棋聖位獲得はならなかったという対局ですね。柳先生は悔しくて悔しくて、この対局を長い間なかなか振り返ることができなかったという思いも語られています。

囲碁人口の多くは対局がメインかと思いますが、囲碁の魅力は、必ずしもそれだけではありません。当時の対局者本人が何を考え、どんな思いを抱えていたのか。そうした人間ドラマを知ることができるのも、自戦解説の大きな魅力だと思います。

AIの時代に、「あなた」の対局が見たいと言われるために

冒頭に、棋力向上を目的にこの本を読んだのではないと申し上げたのですが、ではなぜ読んだのかというと、Youtubeを通して柳時熏先生のことを知っていて、応援したい・彼の著作を読みたいと思ったからですからね。

仲邑菫さんを応援している方は多いと思うのですが、それは彼女の碁に人間としての魅力を感じているからというのもあるでしょうが、それ以上に14歳という年齢で1人外国に渡って頑張っている姿に元気をもらったりするのではないでしょうか。

高度な対局が見たいだけであればAI同士に打たせればいい訳です。でも、そうじゃないですよね。このAIの時代にあって、それでもあなたの対局が見たいのです、と言われるような、そういう「人」としての魅力が柳先生とか仲邑菫さんにはあると思います。

今年はイセドルがアルフ碁に負けて10年の節目なので、韓国ではいろいろイベントがあったようですね。私はその翌年、2017年にアルファ碁に負けた時の柯潔の涙が、AIの時代にあっても人間が囲碁を打つことの意味を教えてくれているように思います。

まとめると

  1. 強くなりたい人はもちろん、級位者の「観る専」でも楽しめる
  2. 自戦解説は、本人の思いや埋れてしまったドラマを知ることができる
  3. AIの時代でも、人間が囲碁を打つ意味はなくならない

といった感じでしょうか。

本日は以上です。

メモ

技術的に面白いと感じたところは、例えば、ダイレクト三々ですね。AIの影響で180°評価の変わった手の代表格ですけど、従来の三々が隅の地を確保するためのものであるのに対し、AI時代の三々はむしろ相手の星の根拠を奪ってあわよくば攻めに回ろうという、従来の三々とは全く異なる思想のようです。この説明は結構腹落ちするところがありました。他にも、ツケノビ定石の伸びる手で上ハネていく手などが紹介されていて、「お、こんな手があるのか」と単純に感心したりしました。

自戦解説などは現在はほぼ不可能。これは棋戦を主宰する側が棋譜を使用する権利を持っているためで、それは致し方ない部分もありますが、ただ、例えばこの本で紹介されている仲邑菫さんとの対局などが、解説などなしに、ほとんど誰の目に触れることもなく膨大なデータの中に埋れてしまうのは非常にもったいない気がしますね。任天堂も一定条件の下で自社ゲームの営利目的での配信を認めている訳で、囲碁もそれに近い運用が求められているのかなと感じました。それくらい、過去の対局やそれに関係する人間ドラマには魅力があるということです。

先日、ドジャースの試合を現地で観戦したのですが、すごい臨場感で観客を惹きつける工夫に溢れていました。マネタイズも非常に熱心でしたが、あの場所に行ったら、ちびっ子が「将来、野球選手になりたい」と思うのはごく自然なことのように思いました。囲碁も、文化芸能という従来の枠から、マインドスポーツという枠に移行しようとしているように見えますが、可処分時間の獲得競争は非常に熾烈なので、単に移行するだけでは全然ダメで、よりいっそうの工夫が求められることになると思います。

私も柳時熏先生が韓国の棋戦に出場したときは、Baduk TVかな?韓国のYoutubeを見て応援してましたからね。日本のタイトル戦より全然緊張しました。今後、マインドスポーツとしての囲碁が広く受け入れられるためには、このよう「人」としての魅力、人間ドラマとしての魅力が、より一層重要になってくるように感じました。

下書きは簡単だったが、公開までには時間がかかった。下書きは私の囲碁や囲碁業界に対する思いが出過ぎていて、本の内容との関係がやや薄かった。自分の考えをそぎ落とし、本の内容とその感想に絞っていくのに時間がかかった。解説でも内容紹介でもなく、感想になってしまったのは、少し気になるが仕方がない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました