現実世界 NPC
ゾンビ回収婦の主人公は当初、仕事が嫌だ辞めたいと思いながら働いていてAIの影響で解雇されます。これは、現実世界でもNPC的に生きていたということです。
VR世界1 NPC
そして、VR世界でも、AI搭載のNPCであるグッドニュース氏にそのことを同情されて殺害し、プレーヤーであるにも関わらずNPC的に生きることを選択します。
主人公は、懸命に働きますが、支配人はその働きぶりに応えてくれません。唯一答えてくれたのは、アラスカというゾンビでした。アラスカは、現実世界の夫のことと捉えて良いでしょう。結婚しているにも関わらず、全く理解していなかった旦那さんですね。
VR世界2 NPC放棄
しかし、アラスカは、プレーヤーによって殺害され、再生することはありませんでした。主人公は、その事件を契機にNPCとしての責任を放棄し、一度ゲームは終了します。
VR世界3 再生
その後、主人公は病院で再生し、またゾンビの回収作業に精を出します。作業としては同じで、NPC的労働、現実でいえば例えば清掃員やコンビニバイト、工場のライン作業、テレフォンオペレーターなどの業務に近いでしょうか。現実世界とこれまでVR世界でやってきたことと、作業内容は全く変わりません。
VR世界4 内発的動機
では、何が以前と違うのかというと、労働が外的な規範によって強制されたものなのか、内発的な動機に基づくものなのか、という点が最も異なります。
以前は、支配人や誰かに認められたいという、外的な規範意識によって労働していました。そこでは、常に結果を求められ、責任を負わされ、改善を求められ、ミスを減らし、休むことなく駆られ続けるわけです。そしてアラスカ以外には、そのことを誰もほめてはくれません。
しかし、ゲームオーバーした後のゾンビ回収作業は、内発的な動機に基づいています。具体的にはアラスカとの再会です。小説の最後に「やがてわたしをようやく迎えにきたあなたのすがた、すまなそうに笑うあなたの顔、それを見る」とありますが、このあなたはアラスカであり、現実世界ですれ違ってきた夫と捉えてよいでしょう。VR世界で再開できれば、現実世界でも夫は演奏旅行から帰ってきます。そこでは、作業は儀式となり、自己表現は供物になり、回収は慰霊や鎮魂に、行為は音楽や舞踏に、それぞれ変わっています。結果も責任も反省も改善も求められません。
何が言えるか
このような物語の構造からは、NPC的な労働の見直しを読み取ることができるかと思います。先ほど挙げたような単純作業としての労働は、ときに下に見られがちです。
しかし、この小説では、「そうではない」と言っているわけです。NPC的な労働、人目につきずらく、誰にも感謝されず、賃金は安く、効率よくミスなくやれて当たり前のような労働であっても、それが夫と再会するための唯一の方法であり、他者から強制されたものではなく、内発的なものであれば、価値のあるものになり得るわけです。それが、この物語を通じて投げかけられた問いに、主人公が出した答えになっています。
感想
そういう結論、つまりNPC的な単純労働にも価値はある、という結論に異論はないのですが、安易な礼賛は危険な気もします。人生の問題の8割はお金で解決すると言ったりしますが、貧すれば鈍します。
主人公が考えを変える契機になったのは、大切な人=アラスカ=旦那の死なわけですが、そうまでしなければ、単純作業に自発的に取り組むのは難しく、ともすれば支配人や他者による評価を求めることに容易につながるかもしれません。もちろん、現実には誰にも直接的に感謝されずとも、プライドを持って自身の職責を果たす方々も多くおられるでしょうが、少なくともこの小説の構造からは、そのように感じました。
『ゾンビ回収婦』は、労働、特に単純作業としての労働の捉え方に一石を投じているようにも思えますが、盲目的に追従するのは難しいように感じました。私の場合は、当初の主人公のように、異世界転生してもNPCはNPCとして生きてしまいそうです。
本日は以上です。また次の読書でお会いしましょう。
メモ
1つには、NPC的に生きてきた人間が異世界転生したとしても、NPC的に生きるだけだ、と言えるでしょう。ゲームオーバー前の主人公がまさにそうでした。
また、夫婦の関係の再構築の物語として捉えることもできるかも知れません。知っているつもりいた夫は解雇を機にさっさと演奏旅行に出てしまい、主人公は夫のことを何も知らなかったのだと知ります。アラスカとの再会は、夫を再発見するということでしょう。

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