▼訃報
こんにちは。今は、2026年10月26日の月曜日です。3日前の金曜日の午後、つまり2026年10月23日の金曜日に村上龍の訃報が報じられました。10月17日の土曜日にご自宅で74歳で亡くなったとのことです。NHKをはじめとしたマスメディアでも大きく報道され、書店では村上龍追悼のコーナーが設けられ、私のXのTLは3日経った今でも村上龍についての投稿が多く流れてきます。
それは、それだけ多くの人の心に浅からぬ傷を残し、影響を与えたということを示している訳ですが、私もそのうちの一人と言ってよいと思います。彼の作品にドハマりしていたのは、もう20年くらい前なので、だいぶ記憶が薄れているのですが、当時手に入る本はほぼ全て読み、彼が監督した映画も観て、彼が影響を受けたという作品にも多く手を出しました。村上龍に影響を受けた一人として、私にとって彼がどのような存在だったのかということを、追悼の意味も含めてお話して行こうと思います。
▼人生を変えるほどの本がある
私は、20年くらい読書しているので、習慣として身についていると言ってもよいのですが、それは村上龍が発端です。それまでは本を読むということが非常に苦痛で、読書感想文の宿題などはずっと憂鬱な人間でした。
それは今では多少緩和されているのですが、それでも「本が好きか?」と聞かれたら、別にそういう分けではないという感じです。いわゆる本好きな方は、どんどん読みたい本が出てきて、読むペースが買うペースに追いつかず、どんどん積読が増えていくという方もおられますが、私は読みたい本を常に探している、という感じです。
本というメディアが好きなのではなく、人生を変えるほどの本がある、ということに気づいたから、それを求めて読んでいるのであり、半分仕方がなく読書しているとも言えます。そして、その人生を変えるほどの本、作家というのが村上龍だったわけです。これまでいろんな作家に影響を受けてきましたし、好きな作品も多くありますが、最も影響を受けた作家は?と問われれば、やはり村上龍ということになります。
▼私にとっての村上龍
最初は、『イン・ザ・ミソスープ』のような小説を読んでいたのですが、ドハマりしたきっかけは『全ての男は消耗品である』という彼のエッセイです。タイトルのままの内容で、消耗品だからこそ自由である、そんな内容だった気がします。非常に賛否のある内容で、直近のXでもそのことが話題になったりしています。はまっていた一時期、自分自身の考えなのか、どこかで読んだ村上龍の言葉なのか分からなくなることが度々あったのですが、それくらい彼の作品や思想が自分と一体化していた時期がありました。
私は、過去影響を受けた方が亡くなると「私に取ってのXX」という簡単なメモ書きのようなものを残してきました。私にとっての立花隆とか、私にとっての徳大寺有恒とか(自動車評論家です)、さいとうたかをとかつげ義春とか、そう言った方々なのですが、やはり村上龍については、影響を受けた度合いが今あげたような方々とは段違いということもあって、非常にまとめにくいというのが正直なところです。今でもXのTLに流れてくるポストを見ると、どんどんいろんな記憶や思いが湧いてきて切りがないんですね。ですので、今回は3作品に絞って、書いてみたいと思います。取り上げるのは、『69』、『エクスタシー』、『13歳のハローワーク』です。
ほかにもいろんな作品について、言いたいことが色々あります。彼の代表作の一つと言われる『5分後の世界』もそうですし、『昭和歌謡大全集』のようなややマイナーな作品にも、彼の思想は強く表れています。『料理小説集』や『映画小説集』、『空港にて』のような短編にも捨てがたい魅力がありますし、『最期の家族』もそうです。ですが、正直きりがありませんので、この3作に絞って思いつくことをまとめてみたいと思います。ちなみに、Xのプロフィールに固定している「名刺代わりの小説10選」にも、悩みに悩んでこの『69』と『エクスタシー』の2作品を入れました。『13歳のハローワーク』は小説ではないので除外しています。
▼『69』・『エクスタシー』
まず、『69』・『エクスタシー』です。この2作品を並列に扱うのは、違和感を覚える方も多いかも知れません。方や高校生が主人公の青春小説、方やセックスとドラッグの快楽に溺れる破滅的な小説だからです。表面的には対照的な両作品ですが、『エクスタシー』は『69』の後日談とも読めるほど似通っています。それは、主人公の名前が同じヤザキだからという以上に、両作品に通底するテーマが「幸福な奴隷の拒否」であると思うからです。
▼▼『69』
『69』は、タイトルから挑発的ですが、1969年を舞台にした半自伝的小説です。主人公は17歳の高校3年生で、女子にもてたいがために学校をバリケード封鎖します。これなんかは、実際にやったらXでは大炎上して叩かれまくっているかと思いますし、今Xで村上龍を称賛している人たちからしても、非常に受け入れがたい行為ではないでしょうか。明るく危険な青春小説、という紹介のされ方をされますが、本当に危険です。
彼は、この本のあとがきで、人生を楽しんでいないやつは徹底的に悪く書いた。それは、学校の教師であり、従順な生徒だと言っています。そして、そのような「退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。」と言っていますが、私は、完全に人生を楽しんでいない従順な生徒に該当します。そして、この本を知ってから、いい子ちゃんに安住していることにずっと疑問を突きつけられています。それは今もそうです。
▼▼『エクスタシー』
こちらは、エログロ表現がきついこともあってか、話題に上ることは少ない作品かなと思います。ニューヨークのホームレスであり、『69』の主人公であり、おそらく村上龍自身でもあるヤザキは、ドラッグを用いたセックスで限界まで快楽を追求しています。自身のレベルを落とすことを拒否し、楽しんで生きないことは罪なことであるという価値観のもと、幸福な奴隷たち、それはミヤシタであり、『69』に登場する従順な生徒や教師たちに、自分の楽しんでいる姿を見せつけることで復讐しています。
幸福な奴隷というのは村上龍の言葉ではないのですが、自由や責任を放棄し、支配者やシステムに依存して思考停止のまま安楽な状態に浸る人間のことで、ヤザキは彼らを憎み続け復讐し続けています。そういう描写が度々出てきます。恐らく村上龍自身も、ともすると幸福な奴隷に、エクスタシーの文脈でいえばマゾヒストに堕落する誘惑にかられ続けたのではないでしょうか。そうでなければ、ここまで幸福な奴隷を描写できないし憎みもしないだろうと思うからです。
この二つの作品は、村上龍の「幸福な奴隷の拒否」という問題意識が、かなり色濃く出ている作品であると思います。この後、彼は「仕事」をライフワークに近いようなテーマとして取り上げるようになるのですが、『エクスタシー』はセックスやドラッグによる「消費による快楽」を極め、その限界を知り、「仕事」という「創造による幸福」への転換点になっているように思います。
▼こちらが69のあとがき
| 楽しんで生きないのは罪なことだ。(中略)楽しく生きるためにはエネルギーがいる。戦いである。わたしは今もその戦いを続けている。退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。
(69あとがきより) |
▼そしてこちらは、無趣味のすすめですね。
| 趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。
(無趣味のすすめ) |
ここで趣味をドラッグやセックス、消費と位置付けるのはやや短絡的なようにも思いますが、それでも、彼の仕事観がよく現れているのではないでしょうか。
そして、その「仕事」についての彼の代表作が『13歳のハローワーク』です。
▼『13歳のハローワーク』
『13歳のハローワーク』は、2003年に出版され大ヒットしました。おそらくそれまでの日本人の仕事観を大幅にアップデートしたと言ってよいと思います。(しかし、それと同時に多くの人を「自分探し」という迷路の扉を開いてしまった罪深い本だったかもしれません。)
それまでの日本人にとっての仕事というのは、恐らくいい大学を出て大企業で働くというモデルだったわけですが、彼はこの本で「好き」を仕事選びの基準に据えています。今でこそ自分の好きを仕事にしよう、というメッセージはごくありふれたものですが、この考えを最初に広く日本社会に提示したのが『13歳のハローワーク』だったのではないでしょうか。
彼はこの本のエッセイのなかで、「人間には2種類の人間がいます。それは、頭の良い人と悪い人ではありません。お金持ちとそうでない人でもありません。それは、好きなことを仕事にしている人と、そうでない人です。そして、ここにシンプルな事実があります。それは、皆さんも大きくなったら仕事をしなければならない、ということです。どうせ仕事をするなら、好きなことを仕事にした方がいいに決まっています」という趣旨のことを述べています。手元にはないのですが、うろ覚えなのですが、大きく間違っていないと思います。
これは、『69』や『エクスタシー』のメッセージ性と、ほぼ同義と言ってよいのではないでしょうか。私は、この本に触発されて、以後自分は何が好きなのか、自分の本当にやりたいことは何なのかを探し続けることになります。彼は、『全ての男は消耗品である』の中には、28歳までにそういった対象、他人から見ると努力と思われるが、自分はそうは思わないような興味の対象を見つけておく必要がある、ということを述べています。私は、その年齢を意識しつつ、結局何も見つからないまま大昔にタイムリミットを過ぎてしまいました。一度転職も経験しましたが、今でも自分が何を成したいのか、老兵として彷徨い続けています。
▼Still crazy after all these years.
正直、彼が経済に軸足を移してからは、ほとんど彼の著作を読まなくなりました。読んではいたかもしれませんが、ほとんど記憶に残っていません。2016年にたまたま手に取った『星に願いを、いつでも夢を』というエッセイについては、私の手元のメモには、はっきり老いたと生意気にも否定的な感想を書いています。
一時期は、彼が『69』のあとがきに記した「退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦い」を、途中で放棄しているようにも見えていたのですが、しかし、それは今から考えると挑発的なメッセージをあえて投げかけるというスタイルを辞めたというだけで、自分自身の態度でそのことを示すという戦いはずっと続けていたのだと思います。今年の3月までカンブリア宮殿のMCを務めていたのですから、本当に死ぬまで戦い続けていたのだと実感します。Still crazy after all these years.というのは、ポールサイモンのアルバムの名前で、『69』に出てくる一説です。『69』は1987年に書かれた作品なので、それから40年近く、戦い続けてきたのでしょう。本当にお疲れ様でした。
私は、村上龍のようにはなれませんでした。
彼のように生きたいと思い続け、結局なれずにだらだら過ごしたのがこの20年という感じです。それは、社会に中指を突き立てるような、あえて挑発的な態度をとるという意味でもそうですし、もっと現実的に小説や映画と言った自分の情熱にフルベットする「仕事」という意味でもそうです。非常に残念でならないのですが、これが現実です。
そんな中で彼は旅立ってしまった訳なんですけれども、今からでもできることがあるとすれば、それは彼が、今回紹介した3つの作品に限らず、飽きるほど描き続けたように、精神的・経済的に自立し、充実した人生を楽しむということなのかなと思います。
本日は以上です。


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