「安くてか細い物語」から弱者性を簒奪していないか(身体を売ったらサヨウナラ、鈴木涼美)

読書

こんにちは。

このチャンネルではもともと、なるべく個人的な感想というよりも、本の内容を少し掘り下げて読んだ人の理解を助けたり、なぜこの本は価値があるのか・ないのかを説明するような、そういったコンテンツを目指してはいるんですが、今回紹介する鈴木涼美さんの『身体を売ったらサヨウナラ』は、ちょっと感想ベースにさせていただこうかなと思います。

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最初に鈴木さんを知ったのは、何かのWebのコラムだったと思うんですけども、一番思い出すのは、桐野夏生さんの『燕は戻ってこない』という小説の文庫版の解説です。NHKでドラマ化もされた小説ですが、この解説を鈴木さんが書いていて、その内容がすごく良くて覚えていました。直近ですと、芥川賞の最終選考に残った『悪い血』、これは小説なんですけれども、それを読んだりというようなことをしてきました。

ですので、鈴木さんの著作を読むのは2冊目になります。内容の紹介とかはできないんですけれども、いろいろ思うところはあるので、それを雑に話していこうかと思います。

強者が「安くてか細い物語」を簒奪していないか

一番はやっぱり、強者による弱者性の簒奪なのでは?と感じたことですね。

彼女がこの本の最後の方で、「好きだ」と言っている女性像があります。それは、整形して、ブランド品を買い漁って、体を売って、ホストに沼るような、「安くてか細い物語たち」なわけです。ですが、私は、この本が彼女たちを商品化して簒奪しているように感じました。

この本を読んだ方の中には、「自分、すごいでしょ」みたいな、そういう匂いを感じた方もおられるのではないかと思います。正直、私は感じました。実際、鈴木さんは「もってる強者」といって良いと思います。お嬢様です、勉強できます、容姿もいいです、男に困ってません、昼の世界で大手企業で働いていました、でも夜の世界も知ってます、そしてそんなことに価値がないこともわかってます、メタ認知できてます、文学的才能もあります、みたいな、そういう、自分の能力なりステータスなりをひけらかすような、そんな印象を正直持ちました。

でも、こう言う鈴木さんみたいな強者は限られた少数派な訳です。圧倒的多数の現実はもっとシビアなことが多いと思われる中で、こう言う言葉は悪いんですが自分をひけらかすような書き方は、鈴木さん自身が好きだと言う「安くてか細い物語たち」から、弱者性のようなものを強者が簒奪してしまってはいないか、という印象をもちました。ちょっと言い過ぎなような気もしますが。

個人的な体験談の域を出ていない

もう一つは、個人的な体験談の域を出ていないのでは?と言うことです。

島田雅彦は、どうも彼女と小さい頃からの知り合いらしいんですけども、この文庫版の解説を書いていて、そこで「小説を書け」というようなことを言っています。実際、鈴木さんは小説も書いていて、芥川賞の選考にも何回か残って、受賞の惜しいところまで行ってるんですよね。

ですが、まあ特に直近の『悪い血』なんかですと、靴のビジューが足に食い込むという描写で、長く夜職についてきた女性の痛みみたいなものを表現しているんですけれども、その『悪い血』で描かれた痛みというのは、単に夜職やってきたと言うものではなくて、「困難な意思決定と、その結果責任を受け止めることから逃げ続けた」と言う痛みなわけです。ですので、私はこの小説に現代的な意味があると感じたのですが、この本からは、『悪い血』で描かれた切実な痛みのようなものを、あまり感じることができませんでした。

もう一つ比較するとすれば、桐野夏生の『グロテスク』に出てくる和恵というキャラクターがいます。で、和恵は容姿は平凡なんですが、非常に努力家で勉強のできる子で、女性というと一般職として就職して結婚して寿退社するのが一般的だった時代に、和恵は大手企業に総合職として入社し、シンクタンク的な部署でかなり偉くなります。

ですが、それと同時にですね、渋谷の円山町で街娼もしています。昼は大手企業で働き、夜は立ちんぼをして直引きしている。そして最後は殺されます。『グロテスク』では、そんな和恵の内面が描かれるのですが、これは実際の事件を元にしていて、「東電OL殺人事件」として、かなり当時センセーショナルな話題として取り上げられたようです。

元々鈴木さんがAVに出演していたのは大学生の時のようなので、日経新聞で働いていた時ではないです。その意味で、和恵は昼から夜に入りましたが、鈴木さんは夜から昼に入った、と言う違いがあります。むしろ和恵とは正反対かも知れません。むしろ『グロテスク』の富の淫らさだらだらと溢れさせるQ女子高の内部生に近いかも知れませんが、いずれにせよ、この本で語られる体験談というのは、その「怪物」っていう感じが全然ないですね。お嬢様の火遊び、くらいでしょうか。

そういう本ではない、フィクションや極端な形を抽出するのではなく、もっと現実的なリアルな女性の姿といえばそうなのかも知れないのですが、その体験談ってどこまで価値あるの?個人的な体験談の域を出ていないのでは?という感じですね。

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今回は感想メインでやらせていただきました。理由の一つは、たとえクオリティが低くとも、アウトプットすること自体を続けたいと思ったからです。これ以上、質的な改善を求め続けると、アウトプット自体が止まってしまいそうだったんですね。

はい、本日は以上です。

めも

例えばですけれども、三島由紀夫の『金閣寺』には柏木っていうキャラが出てきます。彼は主人公と同じ学校に通っている学僧、修行中の坊さんなんですけれども、彼の生き方なんかは、ガラスの破片で手を血まみれにするような、もう切実な生き方をしているわけです。やってることはですね、美人ばかりをヤリ捨てにするような、現代的にいうとクズ男に近いことなんですけれども、それは彼がそうせざるを得なかったっていう切実さの表れなんですよね。

後は、例えば『頂き女子りりちゃん』みたいなですね。まあ、彼女はもう昼ではほとんど生きていけない、夜の世界でもああいう結果になってしまった、再犯で懲役くらったというような感じになっていて、リスカも繰り返してきた、そういう切実さというものを感じることはなかったですね。

 

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