仕事を辞めようかと思う。次が決まらないまま辞めるのは大きなリスクではあると思うが、この仕事を続けることが、私の人生にとって大きな損失であるような気がする。
1年半前のメモ(転職を考えている1)
辞めない理由1 金
仕事を辞めたいと思ったことは今回が初めてではない。それどころか、もうずっと前から常に辞めたいと思い続け、それでも辞めずにだらだらと惰性で続けてきた。
理由は色々あり、単純に食べていけないということが一つある。多くはないが貯金や株などの資産があるので、直ちに生活に困るという訳ではないが、それでも生きているだけで、家賃、食費、インフラ、税、社会保険などの出費がかさむ。インフレが進み、金利は上がり、株なども下手したら半分くらいに下落するリスクを想定しなければならないかも知れない。
そうなると金銭的に詰む。人生の8割は金で解決できるというが、今はその8割は大きな問題となっていないが、金がなければその8割が、今の仕事のストレスなどとは異なる形で、不安や憂鬱となって現れてくるだろう。昔から、かなり安定志向・リスク回避志向で、そのことを恨めしく思わないでもないが、この性質は変わらない。それを受け入れるしかない。そうすると、やはり金は重要である。
辞めない理由2 生きがい
もう一つの大きな理由は、生きがい問題である。先日亡くなった村上龍は、『無趣味のすすめ』の中で下記のように書いている。
趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。
マズローの欲求5段階説に則れば、先ほどの金銭の問題が5位の生理的欲求から3位の社会的欲求、2位の承認の欲求くらいまでカバーできそうである(大体8割)。一方で、村上龍が提起する問題は、1位の自己実現の欲求に所属するだろう。そして、それには「仕事」しかない、というのが彼の意見である。
- 自己実現欲求(Self-actualization needs)
自分の持つ能力や可能性を最大限に発揮し、「こうありたい」という理想の自分になりたいという欲求 - 承認の欲求 / 尊重の欲求(Esteem needs)
他者から認められたい、尊重されたい、また自分自身を価値ある存在として認めたいという欲求。 - 社会的欲求 / 所属と愛の欲求(Social needs)
家族や友人、会社などの集団に所属したい、仲間から受け入れられたい、孤独を避けたいという欲求。 - 安全の欲求(Safety needs)
事件や事故、病気などから身を守り、経済的・身体的に安定した環境で安心して暮らしたいという欲求。 - 生理的欲求(Physiological needs)
食事、睡眠、排泄など、人間が生命を維持するために不可欠な本能的な欲求。
辞めない理由3 次が決まっていない
3つ目は、次が決まってから辞めたい、という希望である。次は決まっていない。この理由は、少し副次的かも知れないが、金銭面を考えると無視はできない。空白期間があることを企業の採用担当は嫌がるだろうし、単純に足元を見られるなどもあろうことから、むしろ重要である。また、無職期間が長くなるとダラダラと抜け出せなくなる懸念も大きい。私は、自分を全く信用できない。
また、良い条件での就職も難しくなるだろう。給料が低いだけならまだ許容できるかもしれないが、そういう仕事ほど人間関係がよくないという話も聞く。そのようなリスクを避けるために、次が決まってから辞めるのは、転職の基本であると思う(ブラックが過ぎて健康を害するなどの緊急性の高い場合を除く。)。
そのほかにも、無職系Youtuberの後藤さんが、やりたいことがあるなら辞めていい。単に仕事が嫌で辞めたいだけならやめておけ。という趣旨のことを言っているのも理解できる。しかし、今回は、この3つの問題について、現時点の考えを書いておきたい。
辞める理由
辞める理由は、今の仕事が嫌だからであり、また向いていないからである。これまで色々考えてきて、少しでもやりたいかも・向いてるかも、という仕事と全く異なっている。むしろ、正反対とまで言えるかも知れない。多様なステークホルダーの複雑な利害関係を踏まえての調整調整の連続である。非常に人間関係に依存しており、明らかに私に向いていない。やりたくない仕事、筋が通っていないことを、無理に通さなければならない場面も多い。
クライアントの要求に応えて結果を出す。その命題の前では自分の安っぽいお気持ちなどゴミカスである。それがプロフェッショナルである、という主張は理解できる。Good Wifeというアメリカの弁護士ドラマでも、クライアントと事務所経営の板挟みで、自身の信念を曲げなければならない場面が描かれる。議論の中で、「私たちは決して褒められたことばかりではない。後ろ暗いこともある。だが、それでもクライアントを裏切ったことは一度もない」といったセリフは、厳しい競争環境の中でクライアントを獲得し、事務所を大きくしながら、ギリギリで自分の正義を守り通してきた、プロとしての自負と矜持ゆえだろう。それは理解できる。
これは、程度問題でもある。例えば、上司から明らかな違法行為を指示されたらどうだろうか。上司はクライアントであり雇用主であり、その期待に応えるのがプロ・サラリーマンなのだから、違法行為も実行すべきだろうか?リスクを指摘し、別の方法を提案し、それでも指示が変わらないのであれば、むしろ会社を辞めるのがプロだろう。その企業の従業員である以前に、一人の人間として自分の最終的な雇用主は自分自身なのだから。犯罪の片棒を担げば、会社が倒産しても、その後自分を自分で守ることは難しくなる。
私の取引先にも、似たような人がいる。上司はクライアントであり、クライアントの言うことは、どんなに無茶ぶりと思えるような内容でも実行してきた。結果的にやはりだめかとなることもあったが、少なくとも実現に力を尽くしていた。それは彼なりのプロフェッショナリズムであり、尊敬するところもある。しかし、それは上司に逆らえない、イエスマンと紙一重に思える。その上司の方は、かなり厳しい方なので、情報が正しく届いていない。間違った現状認識のまま、かなり過激な要求を周囲に突きつけ、その実行を彼が担っていた。彼が本当にその会社や上司のことを考えるなら、現状を正しく伝え別の選択肢を進言すべきではなかったか。しかし、それは言うは易しの世界である。仮に私がその立場なら、そうまでして会社や上司に貢献しようとは思わない。辞める。その企業の従業員である以前に、一人の人間として自分の最終的な雇用主は自分自身なのだから。
本当は、金、生きがい、次未定の三つについて書くつもりだったのだが、「今の仕事がいや」という理由になってしまった。次未定というのは、金の問題に含めてもよいかも知れない。金と生きがいについては、答えはない。金は、働くしかないということがはっきりしている。無職でFIREなどできる資産はない。就職という形ももちろんあるが、何となくそれ以外の道、つまり個人事業主とかも考えてしまう(個人事業主もYoutubeをみると大変そうだが)。そして、生きがいは見つからない。新しいことに一歩一歩手を出すしかないだろう。それは、仕事をしながらでもできるだろう。辞めなくてもいい。
そういうことを考えて、今まで惰性で続けてきたのだが、昨日の夜、突然「このまま好きでもない、向いてもいない仕事を漫然と続け、消耗し続けることは、私の人生にとって大きな損失、機会損失をもたらしているのでは?」という疑問が湧いてきた。今、大半の時間を費やしているのが仕事であるが、それは何のためだろうか。金のためであることは確かである。しかし、生きがいとは思えない。そうであるなら、金、生きがい、次が決まっていない、プロ意識など、色々なリスクがある中でも、将来が見通せない不安定な中でも、正解が分からなくておも、愚かな決定である可能性があっても、それでも一歩を踏み出した方がよいのではないか?今は、そんな気分である。


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