母を亡くした今、改めて噛み締めるものがある(寄生獣、再読した)

漫画

寄生獣を読み返したが、やはり名作という思いを強くした。

表面的には浅薄な環境意識を超えた価値観の提案があるが、個人的に昨年の夏に母を亡くした今、別の観点でも噛み締めるものがある。

新一の胸の穴

新一は、母親の火傷の跡を見るたびにずっと謝らなきゃと思っていたが、これまで正面切って謝ることができずにいた。

それができないまま、そして寄生生物がいて危険であることを知りながら、それを打ち明けることはできず、伊豆旅行を容認し結果的に母親を寄生生物に殺されてしまう。

謝ることができないまま、危険性を知りながら、それを止めることができなかった後悔。そして、そのことを正面から悲しむことができない自分が「胸の穴」である。(その穴が塞ぐのが田村玲子という構図が素晴らしい。全体的に漫画としての表現力が追いついていないのが惜しい。)

私の母は膵臓癌で、診断が降りてから2ヶ月弱で他界した。余命が分かっていたので(主治医の先生は1〜2ヶ月といい、ほぼその通りだった)、短い期間だったが、一緒に過ごすことができ、伝えたいことも伝えることができた。「ごめんね」というと「何を謝るの。幸せだった」と答えたくれた。

鎌倉Diary。食べ物を受け付けなくなり外出もままならない母に私ができることは、そばにいることだけだった。

田村玲子は、なぜ赤ん坊を助けたのか?なぜ逃げることも戦うこともしなかったのか?

自分の安全だけを考えれば、倉森を殺さず赤ん坊を助けない方が合理的だ。ミギーはこの時田村玲子の脳波をキャッチしているが、どんな「感情」なのか理解できない。

単純に言えば、これは愛情と言っていいだろう。

田村玲子は自然に笑いが込み上げるなど、徐々に人間化していた。そして赤ん坊を実験対象としてではなく、自分の子として認識したのだ。そして助けたことを「自分でも驚いているわ」と言っている。

田村玲子は自分が人間に近付きつつあることを認識し、この瞬間むしろ人間になったと思っていたかも知れない。そして、それに満足し、寄生生物としての自分の役割(この種を食い殺せ)が終わったことを悟る。だから逃げることも戦うこともしなかった。

ミギーは田村玲子の感情を理解できない

田村玲子が、新一に託したもの

一義的には人間の赤ん坊であるわけだが、なぜ田村玲子は新一に赤ん坊を託したのだろうか。別に自分が死んでも、赤ん坊が人間であることが確認されれば、適切に保護されるであろうことは想像に難くないはずだ。

田村玲子が新一に託したもの、それは「人間と他の生物との共存」と言えるだろう。ここで「他の生物」には寄生生物も含まれる。

人間と寄生生物とは合わせて一つの生態系であるという結論に達していた田村玲子は、人間にバレずに寄生生物が食事をすることを広川を中心としたコミュニティで実現しようとした。しかし、この計画は全てを知る新一が人間側に付けば崩壊する(実際には倉森から、広川のコミュニティの件は露見する。)。

おそらく田村玲子は新一がその考えをすぐに理解できるとは考えていなかっただろうが、最終的に迷いながらも後藤にトドメを刺す新一の決断は、他の生物を認めながらも、なお人間自身が利己的に振舞うことを許容する。それは、田村玲子が寄生生物が人間を食べることを許容することと結果的には同じだ。その意味で、田村玲子の託された意思は新一に息づいている。

私が寄生獣に嵌っていたのは高校の時だっただろうか。まだ読む価値がある。

この新一の決断は重い。薄っぺらい環境思想とは一線を画する。

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