コロナに翻弄された2020年の日本経済をぶん回し続けた鬼滅の刃は、おっさんが読んでも面白いのか(炭治郎は何と戦っているのか)

漫画

正月は実家に帰っているが、毎度やることがないので映画を見に行っている。今年は鬼滅を見た。

鬼滅はアニメを少し見たが途中でやめてしまった。でも、映画はまぁまぁだったので帰り道に漫画を大人買いしてやろうと思って2店舗くらい本屋を回ったが売り切れだった。池袋のジュンク堂に行ってみたがやはりなく、メルカリでまとめ買いした。

炭治郎は何と戦っているのか

鬼と戦っている、ではない。柱達は鬼に軒並み憎しみを抱いており、事実禰豆子は柱に殺されそうになるが、炭治郎は「良い鬼と悪い鬼の区別がつかないなら、柱などやめちまえ」と風柱に頭突きを喰らわすのである。

つまり、炭治郎は「鬼」とか「人間」といった属性で判断しているのではない。その行い、つまり「行動」で判断しているのだ。

風柱に一発かます炭治郎、一方、良い悪いの線引きは深くは問われない

この点は、昨今の社会的な環境を反映しているのか分からないが、対象をその「属性」で判断することはままある。中国人だから、イスラム教だから、ネトウヨだから、パヨクだから、自民党だから、維新だから、令和新撰組だから、とかだ。鬼滅は、そういった社会的風潮に炭治郎を通してNOと言っているのである。

この点は、欲を言えば「鬼みたいな人間」を登場させれば、より問題提起が顕著になったと思う。人間みたいな鬼は出てくる。禰豆子や珠世さん、愈史郎君とかだ。しかし、鬼のように人間を殺し、食う。それこそ自身で生きて行く上での必要な栄養分の摂取ではなく、楽しみとして人間を殺すような人間のキャラクターを登場させ、炭治郎にその存在を問うのである。仙水忍のように。

正義の味方だった仙水は、人間が魔族を虐待する現場に遭遇し、人間を憎むようになる。鬼滅には、この仙水的キャラがいない。

鬼達は「悪い」のか

では、炭治郎のいう「悪い鬼」と「良い鬼」との線引きはどこで行われるのだろうか。それは当然人間を食べる・食べないだろうと言うことだが、果たして人間を食べると言うことは「悪いこと」なのだろうか。

寄生獣のミギーは、寄生生物は食事という生物として当たり前の行為をしているのであって、人間と全く変わらない。なぜダメなのかと新一に問うが、新一は答えられない。

寄生獣では、新一が最後にその問いに答えを出すが、鬼滅ではこの問題、つまり「人間も豚や牛に同じことをやっているじゃないか」と言う問いは提示されない。この点は、少年漫画なので仕方がないのかも知れない。その代わり、別の問題が設定されている。

鬼滅では問われない、ミギーの素朴な疑問

では、「鬼」とは何か

鬼は人間だった。最初の鬼は鬼舞辻無惨な訳だが、鬼になるにはそれなりの理由がある。

詳細は割愛するが、みな人間の時の憎悪や嫉妬を鬼になって人間に復讐することで満たそうとする。上弦の鬼にはそれなりにバックグラウンドが与えられている。例えば、黒死牟(こくしぼう)という上弦の壱は全てを手にし神の寵愛を一身に受ける天才である弟への嫉妬がその原点になっている。

その意味で、炭治郎が戦っている「鬼」とは人間に潜む醜い心、と言える。最後に炭治郎が鬼になりそうな場面があるが、それは炭治郎でさえ鬼化の誘惑に争うことは困難であり、死んでいった柱たちが鬼化の誘惑に勝るのだ。すごく健全な少年漫画かも知れない。

なぜ勝てたのか?それは仲間の力

おっさんが読んでも面白いのか

おもしろい。近所の子供がチョークで道に鬼滅のキャラを落書きしているが、おっさんでもそこそこ楽しめる。メルカリで13,000円くらいだったが後悔はない。

おそらく連載開始の時点で既に終わり方が決まっていただろう。全体として構成がしっかりしていて、伏線の回収が自然だ。バトルシーンは退屈だし、テーマ性にも目新しさはないが、エンタメとしてよくできている気がする。

ちょっと読めないような難しい感じの名前がいい。産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)とか。あと女性キャラの切れ長の目がいい。作者が好きなのだろう。

煉獄さん母と女装した無惨様

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