[本の小並感 155]ITビジネスの原理 会社も個人も細分化されネットでマッチングする個人の時代に移行する動作原理

読書
何冊目かの田端大学課題図書

Googleは、何を売っているのか?

普通は、広告でしょ?となる訳だが、その前提には多くのユーザーを自分のプラットフォームに引き込む必要があり、そのための手段として検索、マップ、メールなどなどを無料で開放しているのだ。つまり、ユーザーそのものを売っている、とする。

同じような話がダイソーの例で、社長の矢野さんは、ダイソーは100円の商品を販売しているのではない。平均滞在時間30分、平均客単価500円らしいが、500円で30分のショッピングという体験価値を提供しているのだと言っている。

著者は楽天の社員な訳だが、Amazonが必要な物を安く手に入れられるツールとして優れている一方、買い物という体験価値が希薄であり、楽天はそれを提供したいのだという。楽天のタグラインにはShoping is Entertainmentと書かれてあるらしい(この説明で、なぜ私が楽天を使わずにAmazonしか使わないか分かった気がする。)。

レイヤーアンバンドルのインパクト

個人的に気になるのは、第2章のネットが世界を細分化する、という章だ。これは言ってみればネットによって大規模なマッチングが可能になり、仕事も時間もより細かく分業化が進みフレキシブルに対応可能になるということで、ラクスルにおけるなどの例が取り上げられている。

レイヤーアンバンドル、つまりあるタスク(業務)をレイヤーごとに分割し(アンバンドルし)、ネットによる大規模マッチングで達成してしまうということで、初音ミクやオランダの農業の事例を紹介している。

これは私の会社にも当てはまるかも知れない。現在は様々なサービスを一括にまとめて提供し、それに対応した料金を請求している訳だが、サービス内容をアンバンドルし、必要なサービスを、必要な時だけ利用する、ということが料金体系が顧客から求められるかも知れない(それがITによって可能か、と言われると正直わからんが)。

個人も切り刻まれる

そしてもっと深刻?なのは、これが私個人の業務にも当てはまると言うことだ。単純にテレワークの普及で、出社という行為自体が全く意味のない物だということがバレてしまった。全くは言い過ぎだが、多くの業務が、出社しなくても通常通り回るのである。

私の業務もアンバンドルされ外注が可能になるかも知れない。それは、私がネット経由で仕事が得られるという可能性がある一方、今の会社から雇用関係を見直すことになるかも知れない。早い話がクビになり、個人事業主として業務の一部を受注するような形態だ。これは、田端さんが「これからは個人の時代だ」と主張することと対応する訳だが、私が本質的に提供している価値は何なのか、と言う厄介な問いが頭をもたげてくる。

(メモ:電気代が1戸ごとなのは現在では当たり前だが、個々の機器ごとに精算が可能になるかも知れない。電気の黎明期は計量器が整っていなかったので、電球の数で料金が決定していたという。これによるインパクトがイメージしきれない。シェアが可能になりサービス化する?電気の請求はあくまでも個人という経済主体ではないのか。他人と一緒に住むならまだしも、家族間で電気料金を分担で負担するとか考えにくい。)

(メモ:消費されるコミュニケーションと言う章があり、物を売るのではなくコミュニケーションを売る。正確に言うとラインのスタンプのようにコミュニケーションのツールを売る。または、そのプラットフォームを提供する。ものやサービスと異なり、自己実現には終わりがない、限りがない。絶対に満たされずに渇き続ける。)

昔から日本はモバイルコンテンツ市場に占めるコミュニケーション消費がでかい

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