全く誰得な2022年の振り返り

日常

全く誰得な2022年の振り返り

仕事に忙殺された

正直仕事に忙殺された。仕事については別に書いているが、いくつか書き残したことがあるので、先に書いておく。

去年の記事でバックオフィスを「はっきり言って下働き」であるとし、これを続けることのリスクを既に指摘している。つまり、2021年末に分かっていた課題を全く手を付けずに1年経過してしまったということだ。言い訳は色々あるが、個人のキャリア上望ましくないことに変わりはない。

また、その問題意識から、今後のキャリアを戦略PRとして位置づけているがこれも全くやらなかった。個人のTwitterですらやらなかった。そもそも向いていないのだろう。困ったが、これくらいにしておかないとキリがないので、一旦置いておく。

母が他界した。

これについては、別途書きたい。母親に対するアンビバレントな思いは私だけのものではないだろう。いくつか例を挙げると、「鎌倉Diary」の昼の月、「乳と卵」、「愛、深き淵より」などだ。私にとって母は尊敬できる存在ではなかった。疎ましく思ったこともあるし、今から思うとひどい対応を取ったこともある。

 

それでも忘れない。5月18日の水曜に父からLINEがあり、その日の夜に電話で話して知った。5月25日に母入院。翌日5月26日先生から家族の呼び出しを受ける。病院に現れた母は一回り小さく感じられた。以後、転がるように体調が衰え、7月8日(金)に永眠した。

遺品の整理の過程で、母が何を願っていたのかを知った。いや、それは私は本当は知っていた。癌にかかった後、自分には何もできないことに打ちのめされた。しかし、私にはできることがある。今年やらなくては。

ちび丸が他界した。

母が他界した1か月後、ちび丸が他界した。2007年誕生だと思うから15歳だった。ご飯を食べなくなり痩せたが、母への面会で実家に頻繁に帰ったが、そのころは痩せてはいたが食欲はあった。

昔は人間(特に私)を避けていたが、最後はすごく甘えん坊になり、母の肩に上ってべったりだった。母他界後、まるで一人になってしまう父を元気づけるように傍にいて、1か月後に大好きだった母の後を追った。

野良猫を餌付けしたことはあったが、ちゃんと飼ったといえるのはちび丸が最初だった。ありがとうね。大好き。

登山始めた。

2月頃から装備を揃え一、5月のGWに雲取山でテント泊デビュー。8月以降、毎週のようにどこかしらに出かけた。正直何が楽しいのか上手く説明できないが、それでもロードであったような「走りに行かなければ」といった義務感がない。土曜に前泊して、夕食を取り、スーパーで買い出ししているときがめちゃ楽しい。しばらく続きそうな予感がある。

そのせいもあって、ロードの頻度が減った。2、3回くらいしか乗らなかったかも知れない。今のロードを買ったのは2009年だっただろうか。13年乗ったことになるが、サイコンやサドルバッグをメルカリで売り、ひと段落したのかもしれない。

婚活はしなかった。

妹に赤ちゃんが生まれ姪ができた。かわいい。去年の振り返りで、来年は家族が増えるかも知れないと言っているし、その通りになったが、まさか一人減るとは考えもしなかった。来年もこうやって集まりたいは叶わなかった。しかし私にできることはあるのである。

妹は妊娠していて、来年には家族が増えるかもしれない。猫も増えた。みんな健康で、結構幸せなのかもしれない。来年も、こうやって集まりたい。
去年の振り返り

今は、実家で紅白を見てる。来年はどうなるだろうか。

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