映画史上最も特異的に面白い
こんにちは。
今日は、立花隆さんの『解読「地獄の黙示録」』をご紹介したいと思います。立花隆さんといえば、田中角栄の金脈研究などで知られるジャーナリスト・ノンフィクション作家ですね。2021年に亡くなりましたが、社会科学だけでなく自然科学全般に精通し「知の巨人」とも呼ばれていました。
この本は、立花さんがフランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』を解説した本になっています。立花さんは、1980年の映画公開時、2002年の特別完全版の公開時、そしてこの本の書下ろしの際と、度々この『地獄の黙示録』について論じていて、この本はそれらをまとめたものになっています。なぜ、立花さんがこんなに何度も何度も同じ映画について論じているかというと、それはこの映画が、「映画史上最も特異的に面白い作品」、「世界文学に匹敵するレベル」と考えているからですね。
解説の内容はベトナム戦争の歴史的背景から、下地となったジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』、主題歌であるドアーズの『ジ・エンド』、ラストシーンの解釈など幅広いのですが、今回は制作過程を中心にご紹介したいと思います。
膨張する予算・延長される公開日
この映画には、とてつもない費用が投じられて作成されました。最初の予算は1,200万ドル、当時のレートで約35億円だったのですが、最終的には3,100万ドル、約90億円まで膨らみました。このうち約半分にあたる46億円は配給会社が出資したのですが、残りはこの映画を自分の思いのままに作りたかったコッポラが自分で出しました。『ゴッドファーザー』の大成功で蓄えた資金があったからできたことなのですが、資金調達には全財産を抵当に入れなければならなかったようです。つまり失敗したら全財産を失うリスクがあるだけでなく、今後の映画監督としてのキャリアにも大きな影響があるかも知れません。
そんな状況のなか、フィリピンで行われた撮影は当初4か月の予定が1年2ヶ月に延び、編集もどんどん延び、公開予定日は何度も延び、 “Apocalypse Now” は “Apocalypse When?” といわれ、ついには “Apocalypse Never” とまでいわれました。
ラストが決まらない
こうまで延びた原因は、嵐でセットが壊れたり、主演のマーティン・シーンが心臓発作で倒れたりと色々あるのですが、とにかくラストが決まらないという一点に尽きました。普通は、ラストが決まって脚本が固まってから撮影に入るものだと思うんですが、 この映画はラストの脚本が決まらないまま撮影に入っているんですね。カーツ大佐役のマーロン・ブランドには週当たり100万ドル、当時のレートで約2憶9,000万円、1日当たり4,100万円という破格の条件で出演料を支払う契約をしているのですが、撮影が進まないままどんどん時間だけが過ぎていきます。
※これには色々理由があったと思います。この本の中では直接理由が解説されていませんが、役者のスケジュールであったり、ライバルとなる他のベトナム戦争についての映画の撮影が進んでいたり、ロケ地の問題だったり、アメリカ軍の協力の問題であったり、色々な問題が絡んでいたと思います。妥協の拒否もあったでしょう。
「最高のスタッフによって作られた最高のセットで、最高の役者と最高のカメラマンを揃えていた。それなのにフランシスには脚本が書けないのだ。彼は何度も言った。『もうやめさせてくれ。やめて家に帰りたいんだ。俺にはできない。見えてこない。何もできないんだ。』」
仕方なく多様な可能性に対応できるよう、とにかく色々なシーンを即興も含めて手あたり次第に撮りまくっていくという方法でなんとか撮影は終わるんですね。
編集に2年以上苦しむ
ですが、ラストが決まらない問題は解決していないので、編集になっても苦しみ続けることになります。『地獄の黙示録』が撮影されたのは、1976年3月から1977年5月にかけてなんですが、一般公開はそれからさらに2年以上経った1979年8月まで待たねばなりません。その間ずっと編集に苦しみます。
「ユナイテッド・アーティスツ社は、「さっさと映画を完成させてくれ、銀行や興主をこれ以上待たせられないんだ。」と言ってる。そして俺の中では「思った通りにやるんだ。肩の荷を下そうとして結論を急ぐな」。という声がする。取り組めば取り組むほどエンディングは手の届かないところにあって、あざ笑うかのように遠のいていくような気がするそうだ。」
「疲れ切って青ざめた抜け殻のような夫が、一週間のうち一日だけ夕方に現れる。(中略)彼は土曜日の晩、一時意識を失ったそうだ。この一週間というもの、働きづめで試写の準備をしていたせいだ」。
「本当に疲れた。心もボロボロだ。想像力は涸れ果てて、自信もなくなった。子供に戻ったみたいに、ひたすら誰かが助けてくれればいいのにと思ってしまう… …」
最期の最後まで、憔悴しきって苦しみ続けるんですね。その甲斐もあって結果的には全世界で1億500万ドルを超える大成功を収めることになります。
撮らなければ何も始まらない
少し余談になりますが、村上龍は『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞をとった後、フィリピンの地獄の黙示録の撮影現場を訪れて、コッポラと直接話をしています。当時のことをこのように語っています。
そのときに、コッポラに言うのもおこがましかったんですけれども、「映画監督になってみたいんだ」と言ったんですよね。「映画を撮りたい」って。そうしたら、コッポラがね、「映画監督というのは世界で一番簡単な職業なので、誰だってなれるよ」と言ったんですよ。「僕だって監督になっているぐらいだから、映画、撮ればいいじゃん」みたいな感じで。
【第2弾】「もっと教えて!みんなの仕事」オープンによせて | 村上龍氏のコメント【13歳のハローワーク公式サイト】村上龍氏のコメント:「もっと教えて!みんなの仕事」オープンによせて(インタビュー)。
ここで、コッポラが言いたかったのは、「映画監督になった人が映画を撮る」のではなく、「映画を撮った人が映画監督になる」ということでしょう。だからコッポラは、「映画監督になるにはどうすればいいんだろう」と入口で立ち止まっている村上龍に対して、「そんなもの許可なんていらない。撮ればいい。」と言っている訳です。そして『13歳のハローワーク』で村上龍自身も、「小説家になりたかったら、村上龍が何と言おうが小説を書いちゃえばいいわけですよ。」と言っています。
でも、「本当に良い映画を作ること」は恐ろしく難しい。巨大な制作体制、資金調達、編集、俳優の統率、興行リスクなど、実際のコッポラはものすごいプレッシャーの中、むちゃくちゃな苦労をして映画を撮っている訳です。しかし、それも撮らなければ何も始まらない。とにかく撮れ、そうコッポラは言っているのでないでしょうか。
眠れない夜の先にしかないもの
コッポラには適当なところで妥協して戦争スペクタクル映画として完成させてしまうという道もあった訳です。実際そういうエンディングも検討されているのですが、先ほどあったように「思った通りにやるんだ。肩の荷を下そうとして結論を急ぐな」と自分に言い聞かせて安易な妥協を拒否するんですね。そして、だからこそ『地獄の黙示録』という映画は、立花さんのいうように「映画史上最も特異的に面白い作品」にまでなったと言えるでしょう。「眠れない夜の先にしかないもの」がやはりある。という実感を強くしました。私もこんな仕事がしたい。コッポラにとっての映画や、村上龍にとっての小説のようなものを、ずっと探しているように感じてます。
結果の出ない苦悩は、結果責任を意識した人の特権
今回は、本の内容とはほとんど関係ない感想になりました。実は、最初私はYoutubeを続けるなかで、「よい解説とはどんなものか」という観点で、この本を再読し始めたのですが、それよりもコッポラの仕事に対する姿勢がすごく印象に残りました。この本は再読なのですが、以前読んだときは、あまりその部分は印象に残らなかったんですけれども、現実の生活の中で結果に対して責任を意識するようになって見方が変わったのかも知れません。結果の出ない苦悩は、結果責任を意識した人の特権ですよね。それは苦しいのですが、私も降りずに頑張りたいですね。
この本は、制作過程以外にも、フランスによるインドシナ支配、アメリカによるベトミン支援などのベトナム戦争の歴史的背景、下地となったコンラッドの『闇の奥』、 主題歌であるドアーズの『ジ・エンド』の意味、戦争の偽善というテーマ性、ウィラードがカーツに近づいていく全体の構造など、ページ数は決して多くないのですが、本当に多岐に渡る解説をしています。 『地獄の黙示録』 について知りたい人はもちろん、コッポラや立花さんの「仕事」について触れたい方にもおすすめですね。
本日は以上です。また次の読書でお会いしましょう。
※重要なのは、その先にあるのは、「自分」の成し遂げたい何かであり、決して「他人」の何かではないということですね。それは、上司であったり会社であったり、親であったり、恋人であったり色々考えられるわけですが、最後の基準は「自分」であると思います。


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