Art of Freedom 自由を求めて垂直の岩壁を彷徨うヴォイテク・クルティカの魂

登山

ヴォイテク・クルティカを最初に知ったのは、映画「人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 」だった。ギャチュンカンの凍傷で手の指5本・足の指5本を失い、体力を失い、それでもなお誰も知らないような断崖に挑む山野井氏自身が、「自分よりも山が好き」と評した人物、それがクルティカだった。

この本は、日本ではほとんど無名といっていいだろう、ヴォイテク・クルティカの登攀の歴史と、その背景にある思想について書かれている。

ピオレドールの全面否定、商業主義との決別

冒頭からクルティカの登山哲学がフル回転している。彼は、ピオレドール※の受賞を拒否するのだ。

ピオレドールと言えば、登山界のアカデミー賞と言われ、大胆で革新的な登山や生涯の登山への功績を表彰する世界中のクライマーの憧れである。彼は、その生涯功労賞の受賞を打診される。しかし、

このような社会構造は真の芸術の敵です。賞や優劣に支配されると、真の芸術性は失われます。登山は身体と精神を高みに押し上げ智慧を与えてくれますが、賞や優劣は虚栄心や自己中心性を高めます。(中略)

賞や格付けなどの社会的束縛を避け自由を求めて山へ逃れているのに、あなたは賞を与えようとしている。賞や格付けはエゴにとって最大の罠であり、虚栄心の表れだと強く意識しています。

このことは、彼の登攀哲学がよく表れている。実際、この本を通じて描かれるクルティカは、Art of freedomという題名のとおり、一般的な登山家やクライマーといったイメージと異なり、自由を求めて垂直の岩壁を彷徨う、厳しい求道者・修験者のように思われる。

チャンガバンまでの道すがら、ベジタリアンのクルティカは、いつものように(変わった)習慣ーーー飢えた日々(断食)を送っていた。彼は飢えに飢え、空っぽに憧れていた。「矜持の問題でした。限界まで追い込んで、基本的な欲求から自由になるのです。」。クルティカは痩せて山に入り、さらに痩せて山を下りた。

※日本語のwikipediaは記載が少ないので、詳しく知りたい方は英語版のPiolets d’Or又は公式サイトを参照。

登山を奴隷化し堕落させる8,000m峰14座という称号

登山に興味がない人でも、ラインホルト・メスナーの名前は聞いたことがあるかも知れない。彼は、人類で初めて8,000m峰全14座を登頂し、登山史にその名を刻んでいる。エベレスト登頂を最初に成し遂げたエドモンド・ヒラリーと並び、恐らく最も有名な登山家の一人だろう。

しかし、クルティカにとって8,000m峰14座の登頂は、ピークコレクション(収集)と揶揄する程度の行為でしかない。同じポーランド人クライマーであり、メスナーと14座最速登頂の座を争い、自身のパートナーでもあったイェジ・ククチカ(ユレク・ククチカ)に対して、クルティカの評価は辛辣だ。

ユレクとの衝突は、本質的に、世界の価値観と私の価値観の衝突を象徴するものでした。(中略)ユレクは結局、この序列化の覇者を目指して、8,000m峰全山完登という王冠を懸けてメスナーと競い、クライミングという高貴な芸術を、価値のない見世物に貶めたのです。

彼らはクライミングをたった一つの凡庸な要素、つまりクライミングスターを目指すゲームに矮小化しました。その競争を通じて、2人はアルピニズムを序列化するという罠に陥らせ、私たちを奴隷化し堕落させたのです

(念のため補足すると、本人も述べているように、この意見はククチカ個人に対するものではなく、価値観の違いについての意見である。)

ガッシャ―ブルムIV峰西壁 シャイニングウォール

そんなクルティカの最高傑作ともいわれる登攀が、ガッシャ―ブルムIV峰西壁、シャイニングウォールである。IV峰の標高は7,932m。8,000mに届かないため、同じガッシャ―ブルムI峰(8,080m)やII峰(8,035m)の陰に隠れ知名度はないが、高低差2,500mの西壁は、幾何学的な完璧な三角形から難しさと美しさが際立つ。

1985年、クルティカは、ロベルト・シャウアーと2人でこの西壁を登頂する。しかし、その登攀は神経質な岩と氷、そして吹雪によって壮絶なものとなった。7,000mを超える超高所、低圧・低酸素、吹雪。食料は底をつきガスもない。それは水を作れないことを意味した。降り続ける軟雪は体重を支えてはくれず、湿った寝袋は寒気を防いではくれない。疲労、睡眠不足、空腹、渇き。。。彼らは、11日間山に捕らわれ、9回のビバークを強いられ、3日間は食べるものもなく、2日間は水分もとれずに下山する。

その登攀は世界中で世紀の登攀と呼ばれ、時代を先取りしたアルパインスタイルの至宝として評価される。クルティカは「素晴らしい創造の喜び、完全な罠、幻想、とげ」と振り返った(ここで「とげ」は、頂上に立てなかったことを意味する。)。山野井氏にとってのギャチュンカンと同じように、クルティカにとっての運命の山だろう。

転向か裏切りか

最終的に、クルティカは苦悩の末にピオレドールの受賞を承諾する。受賞を受けるということは、名声の奴隷となり自身の信念に対する裏切ることになる。しかし、受賞を拒否するという行為自体が、「世界的な賞の受賞を拒否した私」という自身の虚栄心に陥る懸念のためだ。最初に受賞を拒否した2010年から、6年後の2016年の事である。

今、黙って自身に忠実であるためにできることは、この「金のピッケル」を拒絶することです。しかし、そうすることによって、多くの善良な人たちの気分を害するばかりか、もっと悪いことにーーー自分自身がうぬぼれと虚栄心に溺れるおそれが大きく、、、そうなったら、世界一愚かなクライマーに成り下がることでしょう。

この決定を、彼の転向や堕落と捉えることは適切ではないだろう。彼が引き続き、登山という行為を商業主義とは一線を画する芸術と捉えていることは、下記の言葉からも明らかだ。

商業主義、消費主義の時代にあって、山野井は特に注目されるべき存在だと思います。(中略)彼を見ていると、誰もが悩まされているこの世の煩悩や虚栄心から心が洗われて気分が良くなります。(中略)私にとって山野井はこの偉大で秘めたる芸術における誠実な山伏みたいな存在です。今となってはこの芸術を理解する人があまりに少ないのは悲しいことですが。

I think Yamanoi deserves a very special attention in times of comercial and consumptional approach to life. I look ate him and for a while I feel almost purified from the dirt and vanity assaulting us from everywhere. Yamanoi is for me a sort of faithfull hermit in the great and secret art. It’s sad to realize that so few people understand this art nowadays. ヴォイテク・クルティカが山野井泰史の映画『人生クライマー』に寄せた言葉

クライミングをやめようと考えたことはあるか?その質問に対するクルティカの答えは明快だ。歳を重ねた今、かつてのようなハードなクライミングはできない。しかし、もはやそれは大きな問題ではない。自由を求める彼の登攀は、これからも続くだろう。

お互いに通じ合う愛を手放すのは悲劇です。大きな期待はしていません。温かい岩の感触、山の空間の感覚ーーー私にはそれで十分です。山々は私の呼吸なのです。

現代アルパインクライミングの課題 小さくまとまる優等生

最後に、2020年の山野井氏のインタビューを紹介したい。クライミングに対する2人の思想は近い。ここで山野井氏のいう「ロマン」は、クルティカの「芸術」に近い意味と捉えてよいのではないか。現代のアルパインクライミングは、小さくまとまってしまってはいないか。

今のアルパインクライミングにはちょっとロマンが欠けている気がする。(中略)こんなこと言ったら今のクライマーに失礼かもしれないけれど、1985年から90年くらいにかけて世界各地で行われたクライミングの功績と比べて、その時代より高いレベルのことを果たして我々はやっているかというと、やっていないような気がするんです。(中略)

難しい話だけれど、1985年にヴォイテク・クルティカとロベルト・シャウアーのペアがガッシャブルムⅣ峰西壁(7925メートル)をアルパインスタイルで登っている。それでそのちょっと後にスペインのバスクのチームが、技術的にものすごく難しいアンナプルナ南壁(8091メートル)を二人だけでアルパインスタイルで登っている。

今の時代と比べても、あれ以上レベルの高いことが行われているかは微妙なところ。僕自身はやっていないし、他のクライマーもやっていないような気がするんです。もっと低いところでテクニカルな挑戦はやっているけれど、人間が持っているエネルギーを総動員しているかというと、あの時代のほうが出し切っている感じがする

出典:【特別公開】クライマー山野井泰史 ロングインタビュー「登攀記」(第3回)

 


(クルティカと山野井氏。クルティカは1947年生まれ、山野井氏は1965年生まれなので18歳差。尊敬する先輩だったに違いない。出典:https://magic-mountain.jp/yamanoi/index.html

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