こんまりの本は、単に片付けのHow toではない。
2年半も前に2巻を読んだことがあり、その時の感想を下記にまとめているが、基本的な感想は1巻を読んだ今も変わらない。
[本の小並感 No. 87]人生がときめく片付けの魔法2 自分という人間は何にときめくのか
「自分という人間は、何にときめき、何にときめかないのか。」、「片付けで大事なのは、何を捨てるかではありません。何に囲まれて暮らしたいかです。」。突き詰めると片付けは「自分に向き合う」という、困難でしかしどうしても必要な行為なのだ
果たして、片付いていると言えるのか?
2巻を読んだ2年前、私は自分が片付いているのだと思っていた。
私の性格が生来の貧乏性で「買うものを入り口で弾く」からだ。こんまりの文脈で言えば、本当に「ときめく」かを購入時点で、本当にそれが必要なのか、買って実際に使うのかなどを、他人が異様に思うほど悩むのだ。結果、私はモノが少ない。男の単身住まいは元々モノは多くないが、その中でも少ない方で部屋も自然と片付いている。
しかし、今回1巻を読んで、私は果たして「片付いている」と言えるのか疑問を覚えた。
私が本当に片付いているなら、自分のやりたいことが見つかっても良いはずだ。
自分が本当に好きなものの根っこは、時が経っても変わらないと私は思います。そしてその根っこを見つけるのに片付けは大いに役立つのです。(中略)「片付けをしたら、自分のやりたいことが見つかりました」。実はこんな声が、私のお客様からは絶えないのです。
転職はある種の片付けだった
昨年の転職は、私にとってある種の片付けだった。小慣れた仕事、いつものメンバー、居心地の良さ、将来への不安を片付けることで、少し自分に向き合えた気がする。そして、今の仕事が「やりたいこと」なのかというと、「そうではない」ということに気づいた。
私は転職の時、やりたいこと、得意なこと、伸びそうな業界 という3軸で、最も重要な「やりたいこと」を諦めたのだ。そんなもの、一生見つからないと思ったからだ。しかし、それで良いのか?という当然といえば当然の疑問が、転職後4ヶ月ほどして頭をもたげている。
私の片付けは終わっていない
この本では、たびたび捨てることの重要性を強調しているが、本当に重要なのは何を残すかだ。
捨てることだけを考えて片付けをすると不幸になります。なぜなら本来片付けで選ぶべきなのは、「捨てるもの」ではなくて「残すもの」だからです。
そして、それは「自分という人間は、何にときめき、何にときめかないのか。」を探す旅である。
私の片付けは終わっていない。むしろ緊急を要する。
(No. 194)
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