『終わりなき夜に生れつく』 ミステリーの女王が描く自分という悲しき迷宮

読書

みなさん、こんにちは。今日はアガサ・クリスティーの『終わりなき夜に生れつく』をご紹介したいと思います。

アガサ・クリスティーといえば、泣く子も黙るミステリーの女王ですね。ミス・マープルやエルキュール・ポワロなど多くの人気作を産み出し、聖書を除いて最も売れた作家であるとも言われています。

今回ご紹介する『終わりなき夜に生れつく』は、シリーズ物ではなく単発ものになりますが、コアなファンの間でも評価の高い作品ですね。

今回は、主に本を読み終わった方を想定して内容を紹介していくので、ネタバレを望まない方はブラウザバックをお願いします。紹介する内容は下記ですね。

  1. エリーはどこまで知っていたか
  2. エリーはどこで気づいたのか
  3. なぜエリーは同情の対象ではないのか
  4. マイクが望んだもの
  5. 自分という迷宮

それでは始めましょう。

エリーはどこまで知っていたか

まず、エリーはどこまで知っていたか、ということですね。エリーは、マイクが自分を愛していないことを知っていたと思います。エリーがウイリアム・ブレイクの詩を歌ったあと、「なぜ私を愛しているような目で見るの?」と問うシーンがありますよね。

彼女は顔を上げて僕を見た。
「なぜそんなふうに私を見つめてるの、マイク?」
「どんなふうに?」
「まるで愛しているみたいな目で・・・」

このときマイクは「愛しているに決まっているじゃないか」と答えるわけですが、マイクが自分のことを愛していない、ということを知っていたからこそ、このような問いを投げかけたのだと考えるのが自然だと思います。

ただグレタまで自分を裏切っているとは知らなかった。また2人が自分を殺そうとまでしていることも知らなかったと思います。そう言った記述がありませんからね。

エリーはどこで気づいたのか

では、マイクが自分を愛していないことをエリーはどのタイミングで認識したのでしょうか。これは、はっきりとは示されないのですが、結婚前にエリーがサントニックスを訪ねるシーンがありますよね。そこで、サントニックスから、「マイクは自分のことが分かっていない」的なことを言われます。

結婚の報告をしてこんなことを言われたら、ちょっと気になりますよね。エリーはこのときは「自分といれば大丈夫です」と自信満々に答え、結婚直後に遺言書の作成もするわけですが、このとき「種が蒔かれた」という感じかなと思います。

彼は言ったわ。『あなたは常に自分のしていることがわかっている人間だ、グートマン嬢。あなたは常に自分の行きたいところに行くだろう、それが自分で選んだ道だから。しかしマイクは』とあの人続けたの。『間違った道を選ぶかも知れない。大人になりきれなくて、自分のしていることがわかっていないんだ。』それで私言ったの。『私といれば大丈夫です』って。

この時マイクは「自分がどこに行こうとしているかくらいわかってる」と取り合いませんが、そうではなかったということは明らかですよね。その後も、エリーはマイクの母親との会話などから、マイクは自分を愛していないのでは?ということを徐々に認識していったのではないかと思います。

なぜエリーは同情の対象ではないのか

ここまで聞くとエリーが気の毒に思えてくるのですが、サントニックスは、なぜエリーに同情しないのでしょうか。

「いいえ、そうじゃなくて。人を見る目があるのよ。前に言ったことがあるでしょ。あの人は本人以上にその人間のことがわかるのよ。そのせいで人を憎んだり、同情したりする。私には同情してくれないけれど」エリーは考え込みながら付け加えた。
「なぜ君に同情しなくちゃいけないんだ」僕は訊いた。
「ああ、それはーーーーー」エリーは言葉を濁した。

エリーは、大富豪の令嬢として孤独な少女時代を過ごし、結婚したマイクは自分のことを愛していない。だから、エリーにとって自分は同情の対象なのです。

しかし、サントニックスが指摘するようにエリーはマイクと異なり自分が本当に何を望んでいるのかが分かっているので、自分の道を自分で選び、その結果のいかんにかかわらず責任を追うことに同情の余地はないんですね。もちろんこの時サントニックスはエリーが殺されてしまうことを知らない訳ですが。このことは、冷たいようではありますが、アガサ・クリスティーが結果よりも自己認識と自己決定を重視していることが伺えるかと思います。

マイクが望んだもの

では、マイクは本心では何を望んでいたのでしょうか。表面的にはエリーとジプシーが丘で安定して暮らすことを望んでいると言っていた訳ですが、これは嘘で、エリーの財産を手に入れて、グレタと結婚し、自由に世界を飛び回るような人生を望んでいました。だからこそ、エリーを殺害する訳です。

しかし、エリーを殺害した後に、本当はそうではなかったことに気づきます。サントニックスが指摘するように、マイクは自分のことが自分で分かりません。マイクは自分でも気づかない心の底で、エリーとジプシーが丘で暮らすことを望んでいたと言って良いと思います。

私もそうなのですが、皆さんも、自分の人生において何を心の底から求めているのか?と問われると、はっきりと答えることは簡単ではないのではないでしょうか。自分自身のことなんですけどね。

エリーの迷い

エリーはどう思っていたのかというと、エリーはマイクが自由に振舞うことを望んでいる節もあります。

「あなたのお母さんは」とエリーは言った。「他の人間がどうあるべきか見きわめられる方なのよ。だから、あなたにちゃんとした仕事についてもらいたいんでしょうね。」
「そのとおり」僕は言った。「安定した仕事。落ち着いた生活」
「もうそれにこだわらなくていいでしょ」エリーは言った。「確かに、とてもいいアドバイスだけど。でも、あなた向きじゃないわ、マイク。あなたは落ち着きたくないんだもの。安定なんか求めていない。いろいろなところに行って、いろいろなものを見て、いろんなことをしたいーーー世界の頂点に立ちたい人なのよ」
「僕の望みは君とこの家で暮らすことだよ」

エリーはマイクの隠れた本心を肯定し、マイクは自分自身でも気づいていない本心を嘘として回答するんですね。この辺りは、エリーとマイクのすれ違いがかなり表面化してきているシーンですね。

私は個人的にはこのような男性像に違和感を覚えました。むしろエリーが提案するように、安定を拒否し、大きな野心を抱いて世界の頂点を目指す姿の方の方が良いのではないかと思いますが、いろんな意見があろうかと思います。

自分という迷宮

アガサ・クリスティーには、『春にして君を離れ』という作品があり、その作品との類似性を指摘する意見も散見されますが、私もそれに賛成です。『終わりなき夜に生れつく』も『春にして君を離れ』も、自分を知ることの困難さや、自分自身に嘘をつくことの悲しさや貧しさを描いた作品だからです。

『終わりなき夜に生れつく』は、アガサ・クリスティーが自らのベストにも選出した作品なのですが、彼女は人間の最大のミステリーというのは自分自身にあると考えていたのではないでしょうか。

本日は以上です。また、次の読書でお会いしましょう。

タイトルについて

ウイリアム・ブレイクの『無垢の予兆』という詩から取られています。

夜ごと朝ごと
みじめに生れつく人もいれば
朝ごと夜ごと
甘やかな喜びに生れつく人もいる
甘やかな喜びに生れつく人もいれば
終りなき夜に生れつく人も・・・

Every night and every morn.
Some to misery are born,
Every morn and every night,
Some are born to sweet delight.
Some are born to sweet delight,
Some are born to Endless night.
ーーーウィリアム・ブレイク『無垢の予兆』より。

 

 

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