みなさん、こんにちは。
今日は水上勉の『五番町夕霧楼』を紹介していきたいと思います。著者の水上勉さんは福井の寒村に生まれて幼いころに口減らしのために寺に出された経験もあり、貧困をテーマにした作品が多い方です。代表作である『飢餓海峡』もそうですね。
今回ご紹介する『五番町夕霧楼』も、かつて京都の五番町にあった遊郭で働く娼妓、今でいう風俗嬢の悲恋の物語です。この作品も、一言で言えば「愛が貧困に負けた話」と言えるかと思います。あらすじを文庫の裏表紙から抜粋してみます。
京の遊郭の娼妓となり、西陣の織元の大旦那に水揚げされながらも、かつて故郷の寒村に幸薄の日々をともに送った不遇な学生との愛に生きて行く貧しい木樵の娘夕子。しかしその胸はいつか病魔に蝕まれ、夏の闇夜に炎上する国宝建造物鳳閣とともに、悲恋は終わりを告げる。色街のあけくれに、つかのまの幻のようにゆらめくはかない女のいのちを描き胸に迫る珠玉の名編。
主人公の夕子には櫟田という幼馴染で両想いの男性がいるのですが、夕子の母親が結核を患っており、その治療費のために遊郭に身を売ることになります。しかし、夕子自身も結核を患ってしまいます。櫟田が徒弟をしていた鳳閣寺に放火するのを見届けたのち、夕子はかつて櫟田と遊んだ故郷の寺に戻り、その百日紅の根本で自死します。
ここでいう鳳閣というのは金閣寺のことです。金閣寺は林養賢という金閣寺の徒弟僧の放火によって1950年に消失しているんですが、三島由紀夫はこの事件を下敷きに『金閣寺』を書きました。三島由紀夫の『金閣寺』は弱者男性の対女性関係という文脈で構成されていますが、水上勉の『五番町夕霧楼』は貧困を軸に構成されているという違いがあります。作家の酒井順子さんは『金閣寺の燃やし方』という本で、水上勉の『五番町夕霧楼』は三島由紀夫の『金閣寺』に対するアンサーソングとして書かれたととしています。
私自身は、夕子が櫟田に好意を寄せる理由がよく分かりませんでした。幼少期、故郷の寒村で幸薄な日々を共に過ごし、吃音や出自もあっていじめられていた櫟田を可哀想に思っていたとか、お寺の百日紅に登ろうとして和尚さんに怒られたといった幼馴染としてのエピソードはあるのですが、分量は多くありません。それもあって、なぜ夕子は櫟田に好意をもつのかという肝心要の部分で共感できませんでした。
二人がおかれた貧困というのは、現代からはちょっと想像しにくいレベルだと思うのですが、経済的に豊かな現代であっても普通櫟田のような男性に夕子のような女性はいないことが普通ではないでしょうか。その意味で、この作品は「可哀想な男に女性が向こうから現れる」という男に都合よく美化された作品のような印象を受けました。
「貧困による悲恋」というのは現代的なテーマとしては共感しにくいものがあるように思いますが、それでも夕子が遊郭に身を投じるために故郷を後にするシーンや、病院を抜け出したままの姿で百日紅の根本で遺体で発見されるシーンなんかは、胸にくるものがありました。悲恋の昭和文学を読みたいという方は手に取ってみてはいかがでしょうか。
本日は以上です。また次の読書でお会いしましょう。
※余談ですが、『五番町夕霧楼』を本屋の新潮文庫のコーナーで見かけることは稀ですね。Amazonでも新刊の販売はなく、古本が数十円で売られています。また、新潮社のホームページにも紹介がなく、ちょっと扱いが謎でした。


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