みなさん、こんにちは。
今日はつげ義春さんの『つげ義春の温泉』をご紹介したいと思います。つげさんは、1960年代後半に主に活躍された漫画家で、今でも多くのファンがいます。先日、2026年3月3日にお亡くなりになりましたが、彼の作品は今でも多くの人の心に焼き付いていると思います。
この本は、1960年代・70年代に、つげさんが各地の温泉地、それも観光地としての温泉地ではなく、高度経済成長の時代から取り残されつつある、鄙びた温泉地を巡った旅エッセイになっています。私は、一度読んで内容の多くが『貧困旅行記』という別の本と重複していたので、こちらは売ってしまったんですよね。今回、こちらにだけ掲載されている秩父を訪れたときの記録が見たくて再読しました(2019年の感想)。
でも、今回は内容より、あとがきに注目したいと思います。このあとがきで、つげさんは自身の貧乏旅行趣味の理由を考察しています。
全ての関係から切れて、誰にも承認されず束縛もされない解放されている例としては、乞食をあげることができるが、私にとっての逃亡の意味も、乞食のように「存在しない」ように生きることが願いであったらしく、姥捨てモードに浸ると深い安らぎを覚えるのだった。
つげさんは若い頃から赤面症だったこともあり、対人関係の構築が非常に困難でした。この辺りは、『つげ義春と僕』という別の本に詳しいので、興味のある方は読んでみてください。
そして、それは漫画家として成功した1960年代後半以降も続いていて、このエッセイの中でも度々、不安障害、強迫性障害、パニック障害などに怯えながら旅をする記述が出てきます。そして、そこから逃れるために、ある種の逃避として、社会や人間関係から断絶した旅を求め続けるんですね。
といっても、そこに永住できるものではなく、宿泊中の一時的な慰めにすぎず、その満たされぬ思いから、しつこく湯治場めぐりをするようになったと思える。
ここに収めた駄文には、まだ逃亡願望は反映されていないけれど、それが意識化される経緯は、いずれ存在論的にまとめてみたいと、腹案を練っている。
でも、問題はここからで、つげさん自身は、逃避が長く続かない以上に、「そうであってはならない」という風に考えているように思えるんですよね。このことは、また別の『つげ義春日記』という本に詳しいのですが、その中で精神科の問診に次のように回答しています。
私がよく空想するのは?
→ 自分が死んだ場合、または重症になったとき妻子の不幸について。自殺する場合の方法について。以前はどこかへ蒸発したいとよく考えたが、現在は子供がいるのであまり考えない。私の心からの願いは?
→ 精神的に強くなりたい。行動的になりたい。家族三人の健康。不安の発作が起こらないこと。現在の仕事が経済的にもっと報われたい。私がひけ目を感じるのは?
→ 私の自閉的性質のため陽気に家族サービスができないこと。私の職業を理解していない人に私の職業を名乗るとき。私の仕事が深夜に集中し、家族との生活時間がずれること。
(『つげ義春日記』つげ義春)
この回答からは、長く苦しい現実に向き合い、何とかして奥さんや子供のために頑張りたいという想いを強く感じます。
一般に、つげ義春というと、世俗的な欲望から離れた世捨て人的なイメージで語られがちですが、実際は、そのような行為、つまり社会や他人から関係を断絶してような姿勢は、むしろ反・つげ的と言えるのではないでしょうか。
まとめると
- つげ義春の貧困旅行は、人間や社会からの逃亡願望の現れである。
- しかし、逃亡を長く続けることはできず、そうであってはならないと考えている。
- 逃亡・姥捨てモードに浸ることは、むしろ反つげ的と言える
私も何とか踏み止まりたい。破壊ではなく創造で。彼がそうしたように。そう感じました。
本日は以上です。また次の読書でお会いしましょう。


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