全く誰得な2023年振り返り。いつか来る「最期にみる夢」のために

日常

あと30分ほどで出なければいけないので、急いで2023年を振り返っておく。

なぜ転職したのか

そもそもなぜ転職したのか。前職は15年も勤めていて、大きな不満もなかった。雑に思い出していくと、詰まるところ「自分の業務に価値がない」と感じたことが一番だろう。

前職では、経営層から「必要のない業務をするな、業務を選別しろ」と言われ続けた。それは理解できるが、「じゃあこの業務は辞めますね」とクライアントには言えないという構造的な問題があった。精神論だったのだ。

そして、そのために私は、「会社にとって私は資本の一部である。その資本をどこに投下し、どこに投下しないかを決定することが、会社にとっての”戦略”である。その意味で機能していないのは現場ではなくマネジメントだ。なぜなら、私という労働力をその業務に投下すると決定したのはあなた方なのだから。だから、業務の選別は現場ではなくあなた方のミッションである。」というような基本スタンスだったし、それについて、現実的な(ややラディカルではあったが)提案もしてきたつもりだった。

しかし、うっすら自覚していたのは、「会社が私の業務を不必要と決定しても、会社は私をクビにはできないだろう。」という前提だった。そしてそれは、私が常々必要性を感じていた正社員雇用の解雇規制の緩和と矛盾する。会社が不要と判断した業務を担っている私は、解雇規制がなければクビになるのが本来なのだ。

その意味で、心で失業していた私は、「別の場所」を目指したのだ。それは、計画的でも戦略的でもない、ただ漂うにTLに流れてきた求人情報にふわふわ応募してみたのだ。

では、今の業務は必要とされているのか?

されていると思う。前職では、「何をすれば会社が成長できるか分からない」という環境だったので、新規事業開発の部署にいればやりがいのある業務を担当できただろう。実際、私の同期は、私と天秤にかけられた末にそちらに異動し生き生き働いている。私が異動になっていれば、転職しなかったかもしれない。

一方、今の職場では、「何をすればいいかは分かっている。ただそのリソースが足りない」という状況である。ある意味「やればいい」のだ。求められているのは、オペレーションなのだ。そして、それをある程度自由にやらせてもらえる環境にある。

5月に新人も入り、リソースも補充してもらった。今は、もしかしたらすごくよい環境にあるのかも知れない。

何がしたいのか?

そう思う反面、必要とされている業務を担っていると思う反面、本質的にこの業界に興味がないということを実感している。なぜそんなところに?と思うかもしれないが、転職するかしないかを考えたとき、3つの要素で考えた。

1つは、やりたいこと。2つ目は、得意なこと。3つ目は、市場ニーズのあること。の3つだ。このうち、転職先は、2と3を満たしていた。1は、この20年くらい探し続けて見つかっていないのであきらめたのだ。

しかし、つらく苦しいとき、最後に重要なのは、1だと再確認した。自分という人間は、一生を終えるとき「この仕事をした」と満足して死ねるような仕事を実現できるのは、やはり誰の価値観でもない、自分自身の価値観なのだ。

給料は高くなくてもいいから、田舎に引っ込んで何も考えないでよい単純作業に従事したいという気持ちもなくはない。いや、むしろそうだったらいいなと常々思っている気がする。その一方で「それでいいのか?」という思いもやはりある。後者を重視しなければ、死ぬ間際、病院のベッドできっと後悔するような気がする。

2021年12月20日に転職したので、ちょうど丸2年が経過した。前職の上司には「3年は粘れよ!」と送り出してもらったが、少なくともあと1年はやれることをやりたい。そして同時に、本質的に自分が何をしたいのかを探っていきたい。もうフラフラする年齢ではないのだが(むしろ晩年だが)、それでも今日より若い日はないのだから。

アーティストかビジネスマンか

今年、SNS上で一部話題になった「最期に見る夢をいくらで買いますか?というブログがある。ちょいちょい参照して元気を出しているのだが、同じ人の別のエントリー「未成熟な産業を探して飛び込むという安定」には、下記のような記載がある。

自分には特別な才能も能力もありませんし、器用な方でもありません。それでも生き残れたのは整理してみると
「所属する産業が拡大し雇用が拡大したこと。」
「その産業がまだ成熟する少し前に飛び込み、他の人より少しだけ先に知識を得たこと。」
「スキルやポジションが陳腐化する前に得た知識や経験を利用して他の産業やポジションに移ったこと。」
決して自分の内面に目を向けたり、自分探ししたりせず(何も出てこないから)、ただひたすらに市場を見て自分の居場所を探してきたこと。
が要因であると今考えれば思います。

自分の内面に目を向けず、市場だけを観てきた。これは、アーティストではなくビジネスマンとして生きる道だ。

山野井さんを知ったのはいつだっただろうか。彼はアーティストの代名詞だった。他の誰でもない、自分自身の信じる価値観に従い、それを一生続けている。2023年は、彼の生き方に嫉妬した年だったという一面もある。

どこかの登山での下山中、彼は上ってきた別グループにお茶を勧められる。山野井さんは迷う。通常、登山におけるアルパインスタイル・単独という価値基準に照らせば、お茶の一杯とは言え、他人の手による助けを受けてしまえば、「単独」と言い張ることはできないだろう。

しかし、自分の中で自問自答する。果たして、このお茶の誘いを断ったことで、自分が満足する何かを得られるだろうか?お茶を受け取ったことで、自分に何かうしろめたさや後悔が生まれるだろうか?山野井さんは、お茶をいただく決断をする。他人はそれを、「単独」とは呼ばないかも知れない。市場ニーズはないかも知れない。しかし、重要なのは他人ではない。自分自身の価値観なのだ。

私は恐らく山野井さんのように生きることはできないだろう。一生をかけて打ち込める何かなど、99.999%の人間は持ち合わせていない。そうであるなら、私の目指す方向性は明白だ。

最期に見る夢を色彩のあるものに

今はもう1月3日(水)で明日からは仕事が始まる。

連休に入る前、小中学校の友人と飲んだ。ずっと疎遠だったが共通の友人の結婚式で、少しLINEする仲にある。彼は家庭がやや複雑で、今はもう年末年始に帰る実家というものがない。少し長めの休みでしかないのだ。

年末年始は実家に帰り、親や兄弟とグダグダすることが毎年の日常になっている私にとって、こんなことを言っては失礼だが、彼の生活は寂しいものに思えた。そして、それはそう遠くない私の未来でもある。

分かっている、やるべきことは。それをしなければ、一生後悔するだろう。最期にみる夢が、灰色の病室ではなく、少しでも色彩のあるものにするために。

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