「なんで金閣を燃やしたの?」というシンプルな疑問の核心に迫っている(金閣を焼かねばならぬ、内海健)

読書

今回は『金閣を焼かねばならぬ』です。

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三島由紀夫や林養賢はなぜ金閣を焼いたのでしょうか。小学生でも抱くであろう、このシンプルな疑問に応えるのは実は容易ではありません。皆さんも周りに金閣寺が好きという人がいたら、この疑問を投げかけてみるとよいと思います。なかなか答えるのは難しいと思います。

著者の内海健さんは精神科医で、精神分析学的なアプローチでこの疑問の核心に迫ろうとしています。金閣寺については、私もいくつか関連本を読んで来ましたが、この本はその中で最も真相に肉薄しているように感じました。

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まず林養賢です。乱暴にまとめるとこんな感じでしょうか。

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林養賢が金閣を焼いたことに動機はない。人間は、動機を求めるが、動機があって行為に繋がるのではなく、まず行為があって動機は後から作られる。林養賢は精神分裂病だった。金閣で自分は嫌われ、陰口を叩かれ、住職は全てを知っているような素振りだった。養賢にとって金閣とは、超越論的他者であり孤独と緊張の中に自信を放擲した存在だった。自分の深奥にありながら自分ではない何か、その零度の狂気に駆り立てられ、突き抜けた先に金閣がいた。

検察は、自己嫌悪、美への嫉妬、自殺願望、社会への反感、好奇心などを動機としてあげ、水上勉は養賢の成長過程の苦難や正義感などをあげ、「頭のおかしいやつ」というレッテルを否定しています。それぞれに説得力のあるものだと思いますが、本書では動機はないのだと言っているんですね。

注意いただきたいのは、これは私の理解です。間違っている可能性がある、ということをご承知おきください。実際、本当にこれで正しいのかははっきり言って自信がありません。正確に理解したい場合は、ぜひ本書をお読みください。

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そして、次に三島由紀夫です。こちらも乱暴にまとめてみますが、こちらは林養賢のときよりさらに理解が怪しいです。

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三島由紀夫が金閣を燃やした理由は、自己と現実との隔たり(=離隔)を突破するためである。三島は、幼少期から「行為」よりも「言葉」が先行し、現実に対してリアリティを感じられなかった。金閣は自分の内面を閉じ込めている世界の象徴である。この、自分を閉じ込めている内面世界、「ナルシシズムの球体」を破壊し、「離隔」を突破し、現実と接続するために金閣を燃やした。そして最後に溝口を生き残らせた。

重ねてになってしまうのですが、これはかなり頓珍漢なまとめかも知れません。書いていて私自身にも咀嚼できない部分が多くありますし、全く間違っている可能性もあります。気になる方は、ぜひ本書を読んでみてもらいたいと思います。

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最初にこの本を見たとき、「三島は林養賢をほとんど無視したのに、なぜ今更この二人を並べた本が出るのか」と違和感を覚えたのですが、非常に読み応えのある本でした。林養賢と三島由紀夫は、「養賢が兇行のあと、うわごとのようにその行為を名指した『美への嫉妬』、三島はこの事後の表象から入り、兇行の真理に裏側から到達した」としているとおり、二人を並べることには、必然性があるように感じました(「離隔」というキーワードもあるのですが、両者のそれは似て非なるものだとしています。)。

金閣寺については、Youtubeでも多くの解説動画がアップされていますが、この本はそれらとは一線を画する厚みがあり、本というメディアが果たす役割、可能性も感じました。

私はいつか柏木を軸に自分なりに金閣寺をまとめてみたいと考えているのですが、そのときまで、この本は売らずに手元に置いておこうと思います。

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