ナスビは立派なナスビになることを目指せ(全く誰得な2024年振り返り)

日常

全く誰得な1年振り返りシリーズ、やっていく。

これまで

この数年をざっくり振り返るとこんな感じである。

2021年 転職した。9月に活動始めて10月に転職決定。先方からオファーをもらった後、本当に転職するか悩みに悩み、ソシャゲーやYoutubeが全て暇潰しであったことを実感した。

全く誰得な2021年の振り返り(転職したに尽きる)
全く誰得な2021年の振り返り 例によって全く誰得な1年の振り返り、やっておく。 といっても、去年は振り返りもやっていないし、今年の目標なんかも立てていないので、やる意味あるのか?という疑問もあるが、今年転職に悩んだときとか、過去の...

2022年 仕事に忙殺された。職場の人間が4人→1人に減り、全く初めての業務を全て手探りで実行しなければならなかった。当初意図していた戦略PRみたいな活動は向いてないとあきらめた。

転職1年目の2022年を振り返る。これまでの人生の中で、何番目の年だっただろうか?
イベントとバックオフィスに振り回された。事件・事故もあった。 今年の仕事は、とにかくイベントとバックオフィスに振り回された一年だった。 パーティーの企画なんかを グッドワイフで、ジャッキーがピーターの家を訪ねてきたとき、扉を開けたイー...

2023年 5月に新人が入り、ものすごく恵まれた立場にあるのかもと自覚した。一方で、本質的にこの業界に興味がないということを自覚し、自分のやりたいことをやる「アーティスト」と、市場ニーズのあることをやる「ビジネスマン」との間で揺れている。

全く誰得な2023年振り返り。いつか来る「最期にみる夢」のために
あと30分ほどで出なければいけないので、急いで2023年を振り返っておく。 なぜ転職したのか そもそもなぜ転職したのか。前職は15年も勤めていて、大きな不満もなかった。雑に思い出していくと、詰まるところ「自分の業務に価値がない」と感じた...

2024年振り返り

会社の成長に寄与するクリティカルな問題に全力で取り組んだのか?

転職後3年目に入り、定常業務は一通りこなした。2023年5月に入社した新人君も業務に慣れある程度任せられるようになった。結果、業務量が減った。それもあって、特に在宅勤務時にグダることが多かった。すぐにスマホをいじるし、ちょっとしたことでも中々手を付けず、BGMとして流しておくYoutubeの動画を探したりしていた。

仕事納めだった12月27日(金)に後輩と1年の業務を振り返ったが、そうすると結構色々やっているのである。定常業務の他に新しい活動を3つスタートさせ、結果はともかく継続している。定常業務も私の経験を伝えつつある程度裁量を与えることで、クオリティは上がっている。

しかし、「会社の成長に寄与するクリティカルな問題に全力で取り組んだのか?」と問われると、Yesと言い難い。正直問題。競合他社が活発に動いており、シェアを奪われつつある。「会社が成長するためには何をすればいいのか?」を問い、方向性を出し、全力で取り組まなければ後々後悔するだろう。正直、もう手遅れかも知れないが。。。

この仕事を続けるのか

「なぜ転職するのか?」について、2021年に下記のように書いている。

一番大きな要素は、 「レイヤー1(ベーシックな競争環境)」 だろう。これができないと、私が今の会社にいる意味がないのである。冒頭、田端さんが「辞める理由」よりも「いる理由」と言っているが、それがないのである。
いつか、今の職場の仲間に胸を張って再会できるように

今はこの「レイヤー1」の問題に取り組んでいる。個別の事業ではなく、その事業環境自体を作る、そんな活動である。重要な仕事であると思う。やりがいのある業務だろう。影響も大きい。「空気」が意思決定の主体であり、それを左右する戦略的PRも当初志向していたことである。

しかし、それに取り組んだこの3年の結果として、正直気が重いのである。理由は色々ある。提案自体を自分が信じられていない、興味を失いかけているなどもあるが、一番は人間関係だろう。いや自分の能力かも知れない。「事業環境自体を作る」という発想はいいが、そんなことは業界の構造や各社の利害関係、競争関係、個別の事業、技術、規制などを理解する専門家が集まり、10年単位のスパンで未来像を描く。そして、そこから逆算した手を打っていく。そんな業務の大きさに、正直自分自身が耐えられない。はっきり言えば、能力不足である。

いや、それは言い訳かもしれない。単に分からない、失敗したくないという言い訳のために、興味や能力を持ち出しているのかもしれない。はっきりしているのは、今の業務は憂鬱なことが多く、何かを変えなければならない、ということだ。

逃れられない「人間関係」という呪縛の一方で、得意不得意は厳然と存在する

社会性が破綻しているとは思わないが、人間関係が不得手というのは間違いない。上記の活動も人間関係に左右されている側面が大きい。技術職のイメージの強いプログラマーでも、人間関係は必要だ。むしろ、コードだけ書ける人などより、客先と折衝してニーズを掘り起こし要件定義に落とし込むような業務の方が付加価値は高そうである。仕事は、良くも悪くも「人間」がすることなのだ。

一方で、そこから逃れることはできなくと、得意不得意は厳然と存在する。刀の森岡さんは、不得意な部分を伸ばそうとして成功している人を見たことがない、という趣旨の発言をしているが、その通りなのだろう。

ナスビは立派なナスビになることを目指せ

「ナスビには、ナスビに適した土壌があるということです。ナスビを合っていない土壌の事情に無理矢理合わせたり、ましてキュウリにしようとしてもダメ。それをやってしまうと、ナスビはただ残念なナスビになってしまう。自分がナスビなら立派なナスビへ、キュウリなら立派なキュウリになるように、ひたすら努力を積み重ねれば良いのです」
森岡毅流「自分の強みを見つける」方法とは?【書籍オンライン編集部セレクション】

 

人生のレールを外れる「衝動」の見つけ方

転職する際、前職の元上司からは「3年粘れよ!」と送り出して貰った。それ以下で転職してしまうと次の転職でも「難あり」と見なされて、仕事がなくなってしまうからだろう。それはその通りと思う。そして、先日ちょうど3年が経過した。

「人生のレールを外れる「衝動」の見つけ方」というタイトルの本を今年読んだが、正直魔法はない、という感じだった。村上龍の『13歳のハローワーク』に出会ったのは、2006年頃だろうか。恥ずかしいことに私はその頃から、いまだに「衝動」を探している。毎年のように「探さなければ」と決意しているように思う。そして、何もしていない。

包丁という可能性

昔から刃物が好きだった。就活が上手くいかないとき、父親から、「お前は(サラリーマンより)職人の方が向いているかもな」という趣旨のことを言われたことがある。『かくかくしかじか』で作者は高校の美術教師になっていたら漫画家にはなっていなかったかも知れない、と振り返っている。今は中途半端にこなしてしまっている気がする。

森岡さんの「好きや強みは、動詞で考えろ」というアプローチには反するが、包丁は好きである。夢中になるというものではない。砥石はあるが滅多に研がない。しかし、それでも試してみたい。できれば、打ち刃物を作る工房で体験してみたい。鋼材から刃付けまで一人でやってみたい。いきなり転職は厳しくとも、体験できないだろうか。それを探してみたい。てか探せ。やれ。

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