『団地のふたり』が観たくて、10年ぶりくらいにNHKオンデマンドに登録した。
このドラマで『すいか』や『きのう何食べた』を思い出した人も多そうである。特に『すいか』はキャストが同じで類似性を指摘する人も多い。私も『すいか』が好きで期待して観たのだが、結果は残念だった。確かにテーマも構造も似ているが、『団地のふたり』には決定的に欠けているものがある。
『スイカ』生きる意味を失って煮詰まる34歳独身OL
主人公である早川基子は、信用金庫に勤める34歳の独身OL、いわゆる「負け組」である。ただ何となく変わりばえのしない「終わりなき日常」を過ごし、生きる意味を失って煮詰まっている。ある日、職場での唯一の友達だった馬場ちゃんが、3億円を横領して姿を消したことをきっかけに実家を出て、三軒茶屋にある小さな賄い付きの下宿「ハピネス三茶」で暮らし始める。
このハピネス三茶の同居人との共同生活が、『団地のふたり』の夕日野団地の住人コミュニティと類似している。
馬場ちゃんが「たった」3億円で捨てたもの
逃亡生活に疲れた馬場ちゃんは、唯一の友達である早川を訪れ言う。
朝ごはん食べた後の食器にね、梅干しの種がそれぞれ残ってて、何かそれが、愛らしいっていうか、つつましいっていうか、なんか生活するってこういうことなんだなって思ったら泣けてきた。
掃除機の音も、すごい久しぶりだった。お茶碗とお皿が触れ合う音とか、庭に水まいたり、台所に行って何かこしらえて、それをみんなで食べたりさ、なんか、そういうのみんな、あたしにはないんだよね。そんな大事なものを、たった三億円で手放しちゃったんだよね。
馬場ちゃんは、片方の手に遠い外国に行くための航空券を、もう片方の手に夕飯のメモを持って、早川に2択を迫る。「知っている人なんか誰もいないところで、二人で暮さない…?」。早川の選択は明らかだ。そして、物語の最後、ハピネス三茶の住人は去り、早川自身もそこを去ることが示唆される。
『団地のふたり』に欠けている非日常の可能性と終わりの悲しみ
『すいか』は、日常の終わりと非日常を描くことで日常の彩の豊さに気づく物語だ(木皿泉にはその手の作品が多い。)。
しかし『団地のふたり』には、それがない。団地の建て替え計画は白紙に戻り、出て行った住民は戻り、いつもの暮らしが続いていく。それは馬場ちゃんが3億円で手放した「終わりのある(しかしそれゆえに豊かな)日常」ではなく、早川が煮詰まっていた「終わらない日常」に他ならない。
『団地のふたり』のノエチとなっちゃんは、日常の豊さに気づくふりをすることで(二人の元気さはどこか空虚だ)、非日常の可能性と終わりの悲しみから逃げている。
参考文献
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