[本の小並感 172]喰うか喰われるか 危うく漂う表と裏の境界線、その媒介者

読書

魚とヤクザの鈴木智彦さんが自身のtwitterで仕切りに宣伝しているので買ってみた。

最も、溝口敦の本はこれが初めてではなく、過去食肉の帝王パチンコ30兆円の闇なんかは読んできたが、いずれも「悪くはない」程度で、ずっと手元に置いておく感じではなかった。そして、この本も悪くはないが売る。

 

取材には感心する

よく取材したものだと感心する。

ヤクザを書くと言うことは、当然当事者にインタビューもするし、記事に抗議が入ることもある。実際、記事の訂正を巡ってヤクザと対峙することも2度や3度ではなく、それこそ50年山口組を追い続けてきた著者でも、緊張で下痢が続くような経験をしている。

有名なところでは伊丹十三だが、著者自身も実際刃物で刺され、息子も刺され、編集者は頭を割られた。使用者責任を問う暴対法がなかった当時、反社会的勢力と対峙するのは、現在と異なる覚悟が求められたことだろう。この点は素直に感心する。

ヤクザはなぜ取材に応じるのか

結構疑問だが、自信を大体的にPRする訳にもいかないヤクザとしては、広報部隊として記者を利用すると言うところだろうか。

組内の抗争に影響もあるだろうし、ヤクザとは言え表の社会と全く無縁ではいられない。自身の社会的な評価・歴史的な評価を記者やメディアに託すしかないのだ。

危うく漂う表と裏の境界線

山口組から離脱した神戸山口組、そしてその神戸山口組から離脱した絆會を立ち上げた織田絆誠は、「少しでも社会の役に立ち、社会に認められるヤクザ像」を掲げ、今後の在り方を模索していると言う(本書で肯定的に描かれるヤクザは少なく、この織田と竹中正くらいで、織田については溝口さんが別に一冊著書がある。)。

ヤクザという組織がなくなっても、ヤクザの気質を持った人間は残る。だから、反社会的勢力を根こそぎにするのではなく、そのような人材に居場所を提供する「受け皿」は必要だ。

表と裏との適切な棲み分け、このフロントラインが危うく漂っているように感じる。もちろん、私は一生関わりたくないが。

 

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