人によっては「2度と飲みたくない」強烈なワインの思想は、今はもうないジロ・デ・イタリアの心象風景に通じるか(大岡弘武のワインづくり 本の小並感181)

読書

村上龍のメールマガジン

最初に大岡さんを知ったのは、村上龍が発行していたJMMというメールマガジンである。

今でもメールが残っていたので抜粋してみる。

彼の造るワインは、濁ったまま。例えば、あなたがフランスを旅行して、現地の農家で造るワインを瓶詰めされる前に、樽から直接酌んで飲むようなスタイル。とても新鮮で素朴ですが、一般的な製品化されたワインと比べると、率直に言ってかなり異端です。(中略)

彼の濁ったワインたちは、どれも強烈な個性を放ちます。いわゆる自然派と呼ばれる有機栽培、無添加、無濾過、無清澄のワイン。酸化防止剤を添加せず醸造中の発酵による炭酸ガスを少しだけ残して瓶詰めするために、独特のプチプチした微かな炭酸が口当たりに感じられますし、酵母の香りが残ります。

その強い個性のため、これを飲んでその素直な味わいに虜になる人たちも多い反面、「二度と飲みたくない」と拒絶する人もいる、そんな両極端の味わいです。以前カリフォルニアのワイン生産家に飲ませたことがありますが、「カリフォルニアでこんなタイプのワインは、製品として許されない。」と、商品としての存在に驚愕していました。

出典:[JMM491Ex] 夏休み特別寄稿〜ワインは語りかける〜内池直人(1)2008年8月3日発行

私はワインを美味しいと思ったことがほとんどない。昔フランクフルトで訳も分からずメニューの一番上に書いてあった白ワインがほとんど唯一おいしいと感じた経験だが、このメールマガジンを読んで、大岡さんのワインを飲んでみたいと感じたのだ。

大岡さんは、当時はフランスでワインを作っていたが、2016年に帰国。現在は岡山でワインを作っている。この本は大岡さんとそのワインづくりの本である。

大岡さんはなぜ帰国したのか

以前会社の懇親イベントでワインの講師を招いて、勉強したことがあった。飲み食い付きで楽しかったが、結構衝撃的だったのは、フランスでは畑によって作ることのできるぶどうの品種が法律で決まっている、という話だった(特定の地方だけかも知れない)。

そんな規制は、環境の変化への対応や生産者の創意工夫を妨げてしまうのではないかと質問したが、「それが最適だから」とかそんな答えだった気がする。最適なら法律で規制する必要がない。

この大岡さんの本でも似たような話が出てくる。

病気に強い新たな品種を使いたくとも、既に確立されたブランディングがあり捨てられない。地球温暖化による環境変化に対応するため、適正品種の変更が必要だが、それもできない。大岡さんは、そこにフランスでのワイン造りの限界を見て、日本に帰国することにしたのである(それ以外にも理由はあるが)。

自然派ワインの意味

大岡さん自身は、ボルドーの大学で醸造学を学んだ正統派だが、自然派に転向?するきっかけを下記のように書いている。

その時、大谷さんが自然派ワインを飲ませてくれたのです。

衝撃を受けました。これまで飲んできたワインとは全く違う、葡萄ジュースのようなワイン。どのように評価していいのかも分かりません。これまで培ってきた味覚の地図に全く当てはまらないのです。飲みやすくおいしいのは分かるのですが、理解できない。そんな心境でした。

今思うと自然派ワインを飲む前は、“ワインを勉強している”という状態だったのだと思います。(中略)それが、自然派ワインに出会って“ワインを楽しむ・感じる”という感覚に変化したのだと思います。新たな世界が広がって、それまでの世界が部分的なものになりました。

今はもうないジロ・デ・イタリアの心象風景

フランスには、ぶどうの搾りカスを蒸留する機械を引いた蒸留屋さんが来て、パンとチーズとワインがあり、蒸留されたマールを飲むような文化があるらしい。そこに豚肉とジャガイモを持っていくと、蒸留器で蒸してくる。お礼にワインを一本渡す。仕事中に酒を飲み、二次利用までして飲酒運転で帰る。そんな文化がフランスには今もあるという。

自転車レースのジロ・デ・イタリアでも、地域住民が沿道にパニーニを持って集まり、選手がそれを食べる風景が昔はあったという。選手が片手にピンチョスのお盆を乗せて、嬉しそうに頬張りながらレースに参加している写真をチクリッシモという雑誌で見た。レースというよりお祭りの色が強かったのだろう。競技化が進んだ今では見られないらしい。

ワインは、その年の気候を反映する飲み物です。暑い年もあれば、寒い年もある。飲めばそれが分かるのです。水をあげてしまうと、乾燥した年という特徴を消してしまうことになります。テロワールの概念に反するのです。

私は自然派ワインが特別美味しいとは思わないし、そうでない普通のワインがまずいとも思わない。しかし、上記のような文化を羨ましいと思うし、それはどこか思想として機械化可能な工業品としてのワインよりも、自然派に近いものを感じる。

追記・訂正

チクリッシモは売ってしまっていたが、googleフォトを漁っていると写真が出てきたので掲載。

めっちゃいい顔。

細かいけど写真はジロではない模様。あと、ジロでは今も観客による差し入れがあるけど、選手は食べないんじゃないかな。いつだか、アルベルト・コンタドールが、連日の甘ったるいenergy barに辟易し、最終日の「今日こそは、パニーニを食べる」と宣言していた気がする。

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