[本の小並感 145]隷属への道 国家資本主義への誘惑を断ち切れない

読書

なぜこの本を読んだのか

2021年度予算の概算要求も100兆円を超え、過去最大を更新する見通しである。日本は国家資本主義を目指すのだろうか。

いつの頃からか自由競争を促進することこそが経済的な発展に繋がると言うことは自明のものとして私の中に根付いている。しかし、本当はそうではなく、愚かな民衆に代わりに政府が直接投資して経済成長を主導した方が良いのではないか。そう遠くない将来、中国のGDPはアメリカを抜いて世界1位になるのだろう。現在の中国の状況を見ると、そんな疑問を否定できずにいる。

そして日本もここ数年の予算編成などを見ると(4割くらいが社会保障とはいえ)、それに倣おうとしているように見える。しかし、それはハイエクがこの本で指摘したまさしく隷属への道ではないのだろうか。そんな疑問に答えを見つけるためにこの本を読んでみた(正直難しくてなかなかページが進まなかった。読むのに何日もかかった)。

社会の諸悪は邪悪な人々の活動によって発生させられるのであって、(自分たちのような)善良な人々が権力を振るいさえすれば、全て上手く行くと信じることは心をそそられる考えである。(中略)しかし、実際は邪悪を生み出すのは権力の座にある「善い」人々である。

ミルトン・フリードマンによる序文

新しい発見はなかった

今でこそ社会主義は失敗したなどとは中学生でも言えるが、この本が書かれた1940年〜1943年は世界的に社会主義が新しい時代における本命と見られていたらしい。ハイエクはその風潮に対して挑戦しているので、目次を見るだけでも私などはウンウンと頷いてしまう。ちょっと目次を抜粋する。

  1. 価格という情報こそ、複雑化した社会で力を発揮する
  2. 選択の多様性が未知の世界への発展を保証する
  3. 専門家による計画という危険な幻想
  4. 自由裁量による法の破壊
  5. 結果の平等は自由を破壊する
  6. 社会主義は法の支配と相容れない
  7. 官僚国家が自由を圧殺する

しかし、上記のように競争的な社会制度こそが経済を発展させると考える人間にとって、上記のような内容は既に「知っている」内容だろう。もちろんそれは、ハイエクやフリードマンなどの経済学者が打ち立ててきた思想なわけだが、この本を読んで、何か新しい発見があったかと言われるとハッキリ言ってそうでもないというのが正直なところだ。

現在は「未知の世界」なのか

上記のような、中国の政治経済体制が正しいのか、と言った疑問にはなんとも言えない。そもそも中国の経済体制をよく知らないのだ…日本にもかつて「アメリカの真似をすればいい」という時代があった。それは、言い換えれば経済成長のために「何をすればいいか分かっていた」時代だ。

しかし、何が正解か分からない「未知の世界」の時代において政府が主導的役割を果たすのは無理である。だから明治維新や高度経済成長とは異なり、政府の役割は、規制を緩和し、入退出の障壁を障壁を下げ、競争的な市場環境を整えるという役割にシフトすべきだ。というのが従来からの私の考えである。多分、ハイエクやフリードマンもそういう考えだろう。

しかし、本当にそうなのか。データ資本主義と言われる現在において、IoTを国家主導で半独占的に社会を導いていく。そこには権力を背景に面倒な利害調整は排除できるだろう、国家による個人の自由の抑圧もあるだろう。この本で指摘するように権力も腐敗するだろう。しかし、そのようなデメリットがあったとしても、そしてそれが全体主義につながる隷属への道であったとしても、現在の日本のような民主主義の非決定のジレンマを見ていると少しうらやましく感じてしまうのだ。

なんだか全然この本の内容を理解していない気がする。いつか「やっぱりハイエクは正しかった」と思う日が来るだろうか。

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