香月泰男、生誕110周年
練馬区美術館で香月泰男の展示会があったので行って来た。
最初に香月泰男を知ったのは、『シベリア抑留とは何だったのか』を読んだ時である。
当時の感想を シベリアの夜と霧 というタイトルでまとめているが、本に掲載されていた香月の絵が印象的で、立花隆のシベリア鎮魂歌 香月泰男の世界も読んだ(余談だが、両方ともAmazonでプレミアが付いている。安く売ってしまったクソ…)。
私にとって人間と自由とは、ただシベリヤにしか存在しない
石原吉郎は、自身にとってのシベリアを次のとおり語っている。
私にとって人間と自由とは、ただシベリヤにしか存在しない。もっと正確には、シベリヤの強制収容所にしか存在しない。
(出典:シベリア抑留とは何だったのか)
おそらく、香月にとってのシベリアも、この石原と同様のものだったに違いない。
シベリヤで私は真に絵を描くことを学んだのだ。それまでは、いわば当然のことと前提にしていた絵を描くことができるということが、何もにもかえがたい特権であることを知った。描いた絵の評価、画家としての名声、そんなことは一切無関係に、私はただ無性に絵が描きたかった。
極寒の地で過酷を極め、いつ終わるとも分からない強制労働、同胞が同胞を裏切る相互不審、飢餓。およそ考えられる最も厳しい体験がしかし、人間と自由とが唯一存在する場所であり、真に絵を描く場所であるという矛盾。これは、どういうことだろうか。
私にとってのシベリアとは何だろうか?
では、私にとってのシベリアとは何だろうか?それは、探すべきものだろうか?
「シベリアに抑留されたいか?」と問われれれば絶対にNOである。しかし、1mmの迷いもなく即答するか?と問われれば、少し考えてしまうようにも思う自分がいる。
シベリア抑留者にとって、ナホトカの丘から見下ろす日本海やハイラルの凍った大地から立ち昇る煙が万感の思いを持って迫るように、私も、何も変わらない、平坦で退屈な日常を、特別なものとして感じたい。私の中に私のシベリアを飼っておきたい。
そんなお手軽なものではないだろうが、だから私は香月泰男の絵を見に行くのだ。
おまけ
<<すなわち最も良き人々は帰っては来なかった>>。<<夜と霧>>の冒頭へフランクルが差し込んだこの言葉を、かつて疼くような思いで読んだ。あるいは、こう言うこともできるであろう。<<最も良き私自身も帰ってはこなかった>>と。今なお私が異常なまでにシベリアに執着する理由は、ただ一つそのことによる。
シベリアから帰って来た”私”は、既に”私”ではなかった。
遠くに行くことはある種の魔法で、戻ってきたときにはすべてが変わっている。
There is a kind of magicness about going far away and then coming back all changed.
Kate Douglas Wiggin
香月の絵を見た石原は次のように語っている。
ほとんど黒一色に塗り潰され、忍苦そのものと化したかに見える無数の表情。だが、私はこれらの表情へ盛上げ、抑えつけた絵具の層の下に、望郷の願いそのもののような緑とバラ色のイメージをありありと看取できた。
ゴルゴ13の モスクワの記憶 は、シベリア抑留は関東軍の将校によるソ連との取引(裏切り)だったという設定で、その秘密を暴こうとする。途中ロシア駐在の商社員がロシアの大学生と売春し、戦後日本とうまく対比させている。
夢枕獏の「神々の山嶺」では、死の危険のある山に登る理由を生きるためとしている。
「死ににゆくために、山に行くのではない。むしろ生きるために生命の証を掴むために行くのだ。」「仕事をして、金をもらって、休みの日に山に行く。俺がやりたい山は、そういう山ではなかった。・・・魂が擦り切れるような、登って下りてきたら、もう体力も何もかもひとかけらも残らないような、自分の全身全霊をありったけ注ぎ込む
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