15年勤めた会社の退職日に、夜一人でカップラーメンを啜るという令和残酷物語をすんでのところで回避した

日常

15年勤めた会社の退職日に、夜一人でカップラーメンを啜るという令和残酷物語をすんでのところで回避した

15年勤めた会社の最終日だった訳だが、なんというか意外と普通だった。当日の朝に総務から職員にメールがあり、私からも(今から思うと感傷的に過ぎる)ご挨拶のメールを出した。多くの人から送別のメッセージを貰い、席に挨拶に来てプレゼントをくれる方もいて嬉しかった。

ただ、最終日まで会議が入っていたので、10時から16時頃までは会議室に籠もり、その後最低限の業務を片付けて、メールを返して、PCや机を整理した。まだ終わらなかったが、総務に従業員証やPCを返却しなければならないので、あまり彼らを待たせる訳にも行かない。

最後、身内のメールにほとんど返信できないまま、20:30くらいに机を簡単に掃除した。残っている人は少なく簡単に挨拶して会社を出た。全体的にあっさりしていた。

その後、同僚とインドカレーを食べに行った。もう少しで、15年勤めた会社の退職日の夜、一人でカップラーメンを啜るという令和残酷物語を奏でてしまうところだった。

貰った。嬉しい。ものも嬉しいけど、メッセージカードが嬉しい。

20年前から何も変わっていない。

退職の挨拶は、次の通りだった。

退職を決めた時からうっすら考えていたが、前日の夜でもまとまらず、当日の朝まで迷った。今から読み返すと感傷的でやっぱり少し恥ずかしい。しかし、これもその時の記録として残しておこう。

本日付けでXXXXを退職することになりました。

退職に向けて机やPCを整理していると,2007年の4月に新人研修で代表電話にかかってくるXXXXのお問い合わせにアタフタしていた頃を思い出します。当時の私にとって,XXXXで働くということ自体が大きな挑戦でした。

今回,あまり深く考えずにフラフラと次の一歩を踏み出すことになってみると(それが挑戦などと呼べるかはともかく),今更ですがXXXXでの15年間が,いかに多くの皆様に支えられてきたものであったかを実感しています。

みなさま,本当にありがとうございました!

この挨拶は、以前も少し書いたまっちゃんの山を降りるときに挨拶に少し影響を受けている(やまと尼寺は「部屋に入って一人で電燈つける」全ての「私」を救えるか 参照)。いつか、みんなの前に胸を張って会えるように、という内容だ。

だが、退職に当たって昔つけていた日記(手書き!)をパラパラめくっていると、20年前にも同じことを書いているのだ。当時私は大学で所属していた空手サークルが嫌で嫌で辞めるか悩んでいたのだ。

という訳で今日(8/4)辞めようと思います。今までと違い決心は言い過ぎかも知れませんが、ずっとスッキリした気持ちで辞められそうです。しかし、闘わなくてはいけないことに変わりはありません。辞めることによって後悔するであろう部分を埋め、胸を張ってXXXや、XXX、そしてXXXに会えるような人間になるために、誓いを立てようと思います。

20年前に日記に同じようなことが書いてある…成長してねぇ…

この後、恥ずかしい目標を6つほど書いているが、当然のように達成できない。胸を張ってXXXさんに会えないような生活だった。おそらく、今この瞬間に目標を立てても、同じ道を辿ることになるだろう。

しかし、当時と違うことがある。それは、当時が「嫌だから辞める」だったのに対し、今回は全く嫌ではない。むしろ快適過ぎるくらいまである。やや言い過ぎかも知れないが、「他にやりたいことがあるから辞める」のだ。

初日

今日が新しい職場の初日だった。

慣れない業務に時間はかかるし不安はあるが、私の前任が辞めた10月末からの曖昧な関係よりよほどいい。チャットで挨拶すると歓迎もしてくれた。たったそれだけだが、すごく楽になる。

ちょっと頭の痛い業務もあるし、今日終えた後気づいた抜けもあるし、そもそも大した仕事してない気もするが、いったん初日は初日。明日も頑張る。

いつもコーヒー買っていたコンビニも最後。店員さんに挨拶してしまったが、迷惑だったかな…?

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