みなさん、こんにちは。
今日は鶴見済さんの『死ぬまで落ち着かない』をご紹介したいと思います。著者の鶴見さんを見て、なんか見たことあるな、と感じた方もおられるのではないでしょうか。鶴見さんは『完全自殺マニュアル』の著者ですね。
ご存じない方に少しご紹介すると『完全自殺マニュアル』は、1994年に出版された自殺の方法を解説した本です。当時からかなりセンセーショナルな形で話題になり、現在でも古本が高値で取引されています。
ただ、この本は「いざとなったら◯んじゃえばいいという選択肢を作って、ちょっと生きやすくしよう」という本です。その意味で死に方を解説した本なのですが、逆説的に生きるための本でもあります。
今回ご紹介する『死ぬまで落ち着かない』は、鶴見さんが60歳を迎えて書いたエッセイ?なのですが、『完全自殺マニュアル』と似たようなメッセージを感じました。
みなさんは、「いつかこうなるだろう」という未来に対する期待のようなものは、ありますでしょうか?私は結構あって、例えば「いつか味覚が変わって今は嫌いなものがおいしく感じられるかもしれない」とか、「生涯をかけて打ち込める熱意の対象がみつかる」とか、そういうものですね。
よく40歳になることを「不惑を迎える」と言いますが、これは孔子の『論語』に由来していて、40歳は人生経験を積み物事の判断に迷いがなくなる年齢であるという考えですね。でも、鶴見さんは、60歳になっても、そういうものは一切ないと言っています。本のタイトルにある「落ち着かない」というのはそういう意味ですね。
例えば、中高年というと、結婚して、子供がいて、住宅ローンを背負い、会社で働き、知識と経験から感情の起伏が落ち着き、セカンドキャリアを探しはじめ、欲がなくなり、朝早く起き、食べる量が減り、そして自分の老い先を見据え、次世代のために社会貢献する。みたいなフワッとしたイメージがあると思います。そして、そこから外れると「やばいやつ」認定されることもあります。「いい歳して」とか、そういう言われ方もします。
この本では、現代社会が無言のうちに押し付ける中高年に対する一般的なイメージに囚われる必要はないとしています。例えが適切か分かりませんが、フェミニズムが女性を因習的なジェンダーロールから解放したように、鶴見さんは中高年を、年齢による役割り、いわばエイジロールから解放したいのかも知れません。
「そうはならない」例として、「不安はなくならない」ということをあげています。鶴見さんは東大卒ですが、受験や就職、人間関係などで若いころからかなり苦労したようで、そういう意味では「生きづらさ」にずっと向き合ってきた方と思います。私は、いつか一切の不安がなく、心底安らかに眠れる日が来るような気がしていました。
こちらは、「自分が書かなければおそらく誰かが書く日記」という、webの日記サービスに記載されたものです。現在はもうサービスを終了しているようなのですが抜粋します。
プールの授業が終わったあとの国語の授業のときに開けてる窓から入ってくる風がいちばん好きな種類の風なんだけど、その風にはもう一生会えないのかとおもうととても悲しいです。みんなからほんのり塩素の匂いがして、何人かは疲れて爆睡していて、たまに風が窓際の何人かのノートをバラバラめくってきて、朗読の声がスッと響いていたあの時間は世界でいちばん穏やか場所だったとおもう。
(出典:自分が書かなければおそらく誰かが書く日記)
私はいつかどこかでこの風にもう一度出会うことができるような気がしていたのですが、鶴見さんによるとそうでもないようです。そして、不安やわずらわしさは、何かをやっている限りなくならない。逆に、それらがなくなってしまうと、それは何もしていないということであり、それが本当によい人生と言えるのか?と問うてきます。
数年前から度々読み返している「最期に見る夢をいくらで買いますか?」というエントリーがあるのですが、鶴見さんによるとその瞬間も不安や煩わしさはなくならないのかも知れません。それは、これまでの人生の節目節目でそうはなってこなかったのだから。最期の集大成に期待するよりも、今の一瞬一瞬のほうが本質的である、といった感じでしょうか。
という訳でまとめると
- 歳をとっても「いつかこうなる」と期待したようにはならない。
- 「40にして迷わず」というような中高年像に囚われる必要はない。
- 不安はなくならない。しかし、それは何かしている証左でもある。
- 「あの頃の風」には出会えない。ただ、一瞬一瞬の風があるだけ。
といったところでしょうか。
鶴見さんには熱狂的なファンがいるのですが、読書メーターの感想に「『完全自殺マニュアル』から全作読んでるけど、初めて著者の本をつまらないと思ってしまった。」という書き込みがありました。私も、「頭ではわかるんだけど実感に乏しい」といったところでしょうか。今後もう少し歳を重ねたら、あの時鶴見さんが言っていたとおりだった、と思うときが来るかもしれません。
本日は以上です。また次の読書でお会いしましょう。


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