サラリーマンは2度死ぬ 1回目の死を乗り越え、より充実した人生を送るにはどうすればいいのか?

読書

何者にもなれない中年キャリア論

少し前に 「何者にもなれなかった大人はどう生きればいい?」中年からのキャリア論が欲しいというエントリーが話題になった。

悩みは幼稚かもしれないし、結果は自己責任だし、議論は取り止めもないが、本人にとっては切実だ。

2012年に出版された「サラリーマンは、2度会社を辞める」は、この問いにヒントを提示している。

サラリーマンは2度死ぬ

学生から社会人に切り替えるのに3年、そこから自分の役割を自覚して、顧客や一緒に働く仲間に貢献できるようになるまでのべ10年。

そして、30後半から40くらいにかけて仕事中心の働き方に「このままでいいのだろうか?」と揺れ始める。著者はそれを「こころの定年」と呼ぶ。

そして多くの場合は、この最初の死を経て、会社から心を離しながら、サラリーマンを継続する。黒澤明の「生きる」の主人公のように「この男、忙しい忙しいと言いながら実は何もしていない。この椅子を守ること以外は。」となるのだ。

時期が遅すぎるという意見がありそうだが、私は大体これと同じ期間だった。幼年期が4年、成長期5年、惰性期6年とか。

アメリカでも問われる同じ問題

このような問題は日本に固有のものではなく、ドラッガーも明日を支配するものという著書の中でこの問題を取り上げている。

そして、第2の人生をもつこと、パラレルキャリア(第2の仕事)をもつこと、ソーシャルアントレプレナーになることの3つを提案している。ざっくり言えば、1つ目は転職、2つ目は狭く言えば副業、3つ目はボランティアである。

本書でもサラリーマン8策として、会社の死を乗り越え、より充実した人生を送るための方策を提示している。ただし、これは「答え」というより、自律的に動き出せば、自ずとそのような色合いが強くなるというヒントだ。

過去の自分に会いに行く

その一つに、過去の自分に会いにいく、がある。

おもひでポロポロでは、27歳のタエ子の袖を、小学5年の10歳のタエ子が引っ張る。私の知人は、幼い頃ノートに描いた家でおままごとをした経験から建築の仕事に入った。幼い頃の記憶というのは自分の奥底に埋もれている何かを間違いなく示しているだろう。

なお趣味は本書では選択肢にしていない。趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を変えるような驚きや出会いもないからだ。

27の自分を見つめる小5の自分 出典:https://www.ghibli.jp/works/omoide/

1に子供、2に宗教

冒頭のTwitterのエントリーは取り留めもないが、田端さんは1に子供、2に宗教としている。

子供がいても目が死ぬサラリーマンもいるかも知れないが、30を超えると有力な答えだろう。少なくとも私の周りではモチベーションがリセットされる人もいる

転職して2ヶ月

12月20日に転職したので、そろそろ2ヶ月である。最近は少し業務にも慣れて来た。相変わらず月曜は憂鬱ではあるが、いい意味でも悪い意味でも、慣れて来た。

悪い意味というのは、仕事をしていればより本質的な問いを考えずに済む、ということだ。私は何のために生きているのか。何がしたいのか。いっそ、余命が宣言されれば、そのような問いから真剣に答えるようになるだろうか?

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