何もない木皿泉のものがたり
木皿泉の物語には、特別なものは何もない。
人並外れた才能を持つ主人公も、人類の存続を脅かす強大な敵もない。
その物語には、普通の人の普通の時間があるだけだ。
「さざなみのよる」の主人公も、富士ファミリーという田舎の小さなスーパーマーケットを営む一家の43歳の次女である。
宇宙に広がる声なき声の波
癌を患っている主人公は小さい頃、鉛筆削りを井戸に見立て、姉とどちらの井戸がより深いか競争する。井戸に石を投げ入れ、最初にポチャンと言った方が負け。しかし、どちらも負けたくないから、ずっとポチャンとは言わない。
死の間際、、、
口は乾き切っていて、開くことさえ難しい。それでも言わなければならない。意識がまだ残っているうちに、とナスミは思う。誰も聞いていないかも知れないけど、約束だ。
「ぽちゃん」
ナスミは自分が石だったんだと気づく。鷹子と張り合ったときから、よくもまぁこんなに長く落ち続けてこれたものだ(中略)。
「ぽちゃん」
意識が途切れる最後の最後に、もう一回、ナスミはそうつぶやいた。それは宇宙中に聞こえるほどの声だと思った。
田舎の家族経営のスーパーで働く43歳の、死の直前の、弱々しい、か細いこの声は、永遠に世界に残響する「さざなみ」となって周囲の人々に広がっていく。
普通の人の何も起こらない物語
「ナスミ、退院おめでとう。」
最終回にふさわしい台詞を日出男は口に出してみる。
「これで好きなところに行けるよ」
でも日出男は知っている。ナスミが好きな場所は、埃にまみれたレジ台であり、毛玉のついた笑子婆さんが編んだ趣味の悪い毛糸の座布団であり、使い勝手の悪い水漏れする蛇口のある台所の流しでありーーーー
「昨日のカレー、明日のパン」の映像化に水を向けられた木皿は、「でもこれ絶対テレビの企画では通らないです(笑)。だって何も起こらないしね。多分無理です」と答えている。
商業的な成功が見込めないような、普通の人の何も起こらない物語。
しかし、夜露が全天の星空をその内に宿すように、「そこ」には全てがある。
(No. 191)
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