貨幣とは鋳造された自由である
ドストエフスキーの言葉らしい。金が全てではないが、金で解決できることは多い。
先日、下記の介護殺人の記事が話題になった。要介護4の祖母を一人で介護しなければならなかった22歳の女性は仕事との両立を苦に祖母を殺害してしまう。私も祖母の介護をする母を見ていた経験からそれがいかに過酷かわかる。
「金さえあれば」もしかしたら、こんなことにはならなかったかも知れない。当人もそう思ったかも知れないし、記事を読んだでそう思った人も多いのではないか。人生大半は金で解決できる。人は金に泣き金に笑い金に苦しむ。この本は、そんな「お金」に関する本である。
増殖する価値の運動体
例えば、寝たきり老人の枕元に10億円の現金があったとして、それは資本だろうか。通常、現金資産というのは生産要素として機能することは疑いようはないが、こと「資本」であるかどうかというと、否、というのが本書の答えである。
なぜならそれは価値を生み出していないからだ。価値を生み出す運動体として機能して初めて資本たり得る。
この定義は人材にも当てはまるだろう。一般に広く言われるヒト・モノ・カネ・情報という生産要素でも、サービス産業においては人的資本がクリティカルな生産要素だろうが、その人がただ9時に出社してに座っているだけでは価値を生み出していないという点で「資本」とは言えないのである。
先日、会社の偉い人との面談で選んだ本に(その選定に)難癖をつけたが、政治的に言えば、その面談では「自分がいかに資本足り得るのか」を説明するのが正解だろう。
金で買えない価値とは何か
この本はお金に関する本な訳だが、最終的には「お金ばかり追いかけていては、お金持ちになれない」というパラドックスを示し、自分にとっての「金で買えない価値」を見つけ、どう生きたいかを問うてくる。
田端さんにとっては、堀江さんや前澤さんという時代のレジェンドと共に仕事をしたという経験は、それこそ金では買えない貴重なコトだったことだろう。モノからコトへ。製造業を未だに悩まし続けるこのキーワードもこの文脈を踏まえている。
冒頭この本の目的を2つ示している。一つは「お金と資本の違い」であり、もう一つは「自分がどのように生きたいのか」だ。前者はある程度わかる。しかし、後者は重い。私にとっての金で買えない価値とはなんだろうか。
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