シン・エヴァを観てきた。
はっきり言って下らない映画だと思うが、同じ時代を生きたものとして思うところもあるので感想を書いておく(ネタバレ)。
拗らせた中2病の直し方(少年は神話になれたのか)
優れた映画、観る価値のある映画には、何かしら時代の喉元に合い口を突きつける様な、際どい問題提起があるのではないか。その意味で、この映画にはその手のテーマ性は全くない。あえて言えば、引きこもりが社会復帰する話、拗らせた中二病が治る話、といったところだろうか。
しかも治り方がまた酷い。父親殺しを実行するのかと思いきや、ゲンドウは勝手に自滅する。父親殺しというテーマは古いのかも知れないが、対話で自滅するというのが苦しい。
100歩譲って対話と自滅はいいとしても、肝心要のゲンドウの望みは下らないにも程がある。何らかの対立構造を問う様な映画では、敵の意見にも抗い難い危険な魅力があることが必要条件ではないだろうか。しかしゲンドウの望みは子供っぽく、共感する観客はほとんどいないだろう。だから、父親を倒すというテーマにも魅力がない。
致命的なのは第13号機で、シンジくんが止めを刺すのかと思いきや、ユイさんがコアを破壊するのだ。つまり、もう一つの人類の可能性を放棄し、不完全な現在の世界を肯定するという選択を、自分の意思で選び取るのではなく、そしてその結果に責任を負う訳でもなく、お母さんに委ねてしまうのである。仕上げはお母さんなのだ。
寄生獣のラストで、新一は「君は悪くなんかない、でも、ゴメンよ」と泣きながら後藤にとどめを刺す。シンジくんには、この覚悟がない。というか、庵野秀明はその決断を迫る場面をシンジに与えなかった。そんな中途半端で、マリに「今日もおっぱい大きくてカワイイよ」なんて言えるだろうか。これでは、少年は神話にはなれない。自分で殺さなければいけなかった。これで「卒業」なんて言いたくないが、仕方がない。
庵野秀明は「憶えられた」
しかし、まぁ庵野秀明はこんな下らない矮小なテーマで、よくもこんなに物語を膨らませられるものだ。素直に感心する。
what do you want to be remembered for? あなたは何によって覚えられたいか?という有名な問題があるが、庵野秀明はエヴァンゲリオンの監督として間違いなく「覚えられた」だろう。
こんなに下らない(と私は思う)テーマでも、自分の価値があると思う映画を実行したのだろう。誰の中にでも住む中二病の僕、それを赤裸々に晒け出したことが、庵野秀明のイノベーションだったということだろうか。さすがプロフェッショナル。
錆びついた時計の針が動き出す
エヴァがすごく流行ったのは1995年ごろだろうか?
それまでロボットと言えばガンダムだった私にとって、ケーブルがないと動けない、というちょっと近未来っぽい設定が新鮮だった。流行りの乗ってエヴァのプラモを買ったりしていた私は、熱心なガンダムファンに裏切り者呼ばわりされた思い出もある。
そんなエヴァが終わるというのは、なんというか25年の年を感じさせる。私は熱心なファンではないが、それでもエヴァ世代ではあるし、空気の様なものとしてエヴァという存在があった。しかし、それも終わったのである。
子供でシンジくんの側だった私も今や立派な中年である。岡田斗司夫さんは、この映画を「卒業式」と評していたが、その通りである気がする。下らないものでも子供の時代が終わったのだ。この映画で14年寝ていたシンジくんの錆びた時計の針が動き出す(一応)。もう二度とTVアニメの最初の頃には戻れない。私の時計はどうだろうか。ディスってしまったが、ありがとう。
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