岡田斗司夫さんは、名前はいろんなところで聞いたことがあったが、特に本を読んだり動画を見たりはしてこなかった。知人が勧めるOn your markの解説動画をホゲーっと眺めていたくらいである。その時は、超マニアックなサブカルの評論家、くらいの認識だった。
しかし、いつかの動画で田端さんが「自分の言っていることは、岡田斗司夫さんとかXXさんの言っていることの焼き直しですから」という趣旨のことを言っていて、そんな人なの?と思っていたところ、下記の田端大学の課題図書に挙げられていて読んでみた。
新しいタイタニック
「モノを作って売る」という製造業のモデルが苦しいことは様々な業界で言われていることだが、では例えばサービス化のように「ネット時代に特化した新しいビジネスモデル」を構築すればいいのだろうか。
この本では、それすら「タイタニックから脱出したボートの大小を競っているに過ぎません。」と切って捨てる。
では新しい時代のタイタニックとはどのようなモノなのか。著者はそれを「評価経済社会」と呼ぶ。
評価経済社会とは
定義を抜粋しよう。
今訪れつつある新社会。それを「評価経済社会」と呼ぶ。
貨幣経済社会とは、社会の構成員が、その最大の貨幣的利益に向かって邁進することによって安定する「動的安定社会」である。それと同じく
評価経済社会とは、社会の構成員が、その最大の評価的利益に向かって邁進することによって安定する「動的安定社会」である。
詳しい説明は本書に譲るが、私なりに整理すると下記のようになる。
ある時代のパラダイム(社会通念)は、「その時代に何が豊かで、何が貴重な資源であるのか」を見れば明らかになる。そして現代は「モノ不足・情報余り」の時代である。
そのような時代においては、物欲や禁欲に惑わされることはダサいことであり、例えば休日出勤のお父さんは「こき使われる弱者」である(ここでいうモノ不足は、資源の有限性などを指す)。
そして、者や金に拘泥しない価値観は精神的・抽象的な方向に向かう。情報の解釈が無限に流通する高度情報社会においては、貨幣経済社会において経済行為が自由になったように、評価経済社会においては、他人に対する影響行為・洗脳行為が個人に開放され、「自分がどう見られているか」という評価が最も価値を持つことになる。
つまり、金よりも評価がより価値のあるものになり、金を競うように、評価を競うようになる。簡単に言えば、どれだけ有名になれるか、どれだけいいねが集められるか、そういう競争になる。
ステーキを売るな、シズルを売れ!
上記のまとめはやや疑問もあるが、「ステーキを売るな、シズルを売れ!」と言われる。製造業も物を売るのではなく、体験価値を売れという流れだ。一部ではUX、ユーザエクスペリエンスと言われる。
スタバはコーヒーを売っているのではないし、ハーレーダビッドソンもバイクを売っているのではない。アップルもだ。
それらの企業は、それを使うという体験、もっといえばそれを使っている自分、というイメージを売っている。相応の収入で、相応の暮らしができる。従来の価値が飽和した今、重要なのは、自身の社会的なイメージ=キャラなのだ。
岡田さんと田端さんの違い
アフィリエイトなどで評価が換金可能な価値であるという説明に対して、岡田さんはこの本で、それはあくまでも従来のパラダイムで捉えているに過ぎないとしている。そしてそれを実践するためにFREEexという組織を実践している。
一方で、田端さんはTwitterのフォロワーを現代における「資本」であるとし、あくまでも換金手段として捉えているように感じる。
フォロワー1人につき1円値引きするホテルなどもあるし、スタートアップの事業をツイートするなど、特にZozoを退職してからは、その社会的影響力を収入のために使っているように感じる(それを見て、ツイートの切れが落ちた、という人もいる)。
これから
なんとなくだが、岡田さんの想像する意味での評価経済社会が本当に到来するのだろうかと思う。
それは、一つには格差の問題である。絶対的な生活水準が上がったとは言え、格差は相対的な物であり、それは一層拡大していくだろう。中間層が破壊され極大化した時、人々が金銭よりも「評価」に重点を置けるだろうか。富裕層は、ポトラッチのようにインターネット村の部族の中での名誉を求めるだろうか。仮に来るとしても相当程度先の未来である気がする。
田端さんは、その辺りを見越して、パラダイムという個人を超えたマクロな環境変化に意図的にコミットするのではなく(岡田さんのように社会的な実験を進めるのではなく)、あくまでも貨幣経済社会のなかで冷静に個人の利益を最大化しようとしているように感じる。
私も参考にするなら田端さんだろう。
追記
岡田さんの一人夜話を検索していたら、田端さんと対談していた。
この中で田端さんが、「評価経済社会というが「評価」も「資本」の一部という意味では、大半が資本主義という枠組みで説明がついてしまうのではないか。」という問いかけに岡田さんがあっさり
「つくだろう。ただ、評価経済という概念を用いたほうが、評価という重要性がましている現在の事象をより綺麗に説明できる。貨幣経済で既に成功しているなら、評価経済に移行する必要はない。しかし金回りが良くない人は、年収を上げるよりも評価を稼ぐ方がより充実できる。当然、金も評価も両方持っている奴が最強」とあっさり認めたのには驚いた。
おそらくこの時、田端さんは「それでパラダイムシフトと言えるの?」と思ったことだろう。貨幣経済のフロンティアとして評価経済があるのであり、貨幣経済を丸々置き換えるのではなく、貨幣経済の上に評価経済が乗っかるのだ。
これをパラダイムシフトと呼ぶかはともかく、従来より「評価」がより重要になってくるという方向性に異論はないだろう。田端さんの言葉で言えば、個人としてのブランド、ということになるかも知れない。
この本でも言っているが、評価経済社会だから競争がなくなる訳ではない。田端さんがいうように「金も評価も」という意味でよりシビアな競争になる可能性もある。簡単に言えば、個人として魅力的か、周りにいる人を楽しませられるか、要はモテるか、ということか。
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