温暖化対策は、疑問の余地のない「前提」だろうか
先日読んだビル・ゲイツの地球の未来のため僕が決断したことは、どうすればGHG排出ゼロを達成できるか、という命題に対しての本であり、コストを慎重に考慮していて豊さの実現との両立を前提としているのは誠実だと思うが、そもそも温暖化対策が必要か?という疑問には非常に簡単にしか触れられていない。疑う余地のないもの、なのだ。
しかし、本当にそうだろうか。
確かに、夏は暑いし冬は暖かいし、線状降水帯などの水害も近年増加している。個人的には新潟にロードで行った時の40℃の暑さには危機感を覚えたが、しかし、膨大なコストをかけてまで、つまり自分の生活を酷く劣化させてまで対処すべき問題なのだろうか。本書は、そんな素朴な疑問に答える。
本書の主張
最初に本書の主張を簡単にまとめておこう。
- 「地球の気候は危機に瀕しており、産業革命以前に比べて1.5℃以内に収めなければならない。そのためには、2030年に排出量を半減、2050年にゼロでなければならない」という気候危機説はフェイクである。
- 温暖化はゆっくりとしてしか起こっていないし、今後もさして危険ではない。台風は激甚化していないし、気温の上昇も都市化のせいである(温暖化は原因の一部)。ある程度用心は必要だが、排出削減は安価で現実的な範囲に留めるべきである。
- 再エネも水素も高コスト。原子力・石炭火力を堅持し、LNGの調達先の多様化などで、エネルギー安全保障を強める。政府目標と整合的になるよう、アフォーダブルなCO2削減の技術開発を進める。イノベーションの素地として製造業が必要だ。
これらの主張は、「トンデモ」だろうか。
温暖化は大したことないのか
詳細は省くが、IEAの現状政策シナリオ、つまり2019年に追加の温暖化対策がない場合の排出量に近いのは、IPCCで言えばRCP6.0である。このRCP6.0のシナリオではGHGの排出量が推移した場合、大気中のCO2濃度が630 ppmに到達するのは2088年だという。
- 1850年のCO2濃度 280 ppm
- 2020年のCO2濃度 410 ppm(1850年からの温度上昇地:0.8℃)
- 2088年のCO2濃度 630 ppm(1850年からの温度上昇地:1.6℃)
そして、何なら気温が高い方が人類にとっては住みやすくなる、というのである。この辺りの議論は荒っぽい感じだが、下記のようにCO2が増えるから森林が増え、死者が減って、農作物の収穫量も増大するという主張もある。
再エネのコストはいくらか
2016年のデータだが、RITEが試算している。この試算はCCUSや水素製鉄、DACなどの技術が仮に実現可能だという仮定のものだが、それでもGHGを8割削減するには43兆円〜72兆円のコストが発生するという。原子力の扱い如何によって変わるものだが、仮に43兆円でもあと2割を削減するコストは示されていない。
2021年度の一般会計が106兆6000億円であることを考えると、4〜7割の公益事業を犠牲にしなければならない。もちろんそんなことは不可能だから、何らかの方法(おそらく赤字国債)で調達するしかないだろう。いくら何でも破綻してしまうのではないだろうか。そして、そうまで得られる12億1,000万トンのCO2削減は、中国が1割増えれば消し飛んでしまうのである。
現代のインパール作戦はどちらか
本書でも言及されているが、地球温暖化に異を唱えることは「異端」のレッテルを貼られ主流から阻害されてしまう。コロナでもそうだったように、SNSまで地球温暖化懐疑論には検閲が入るのだ。
温暖化脅威論と懐疑論、どちらがどちらと判断はできないが、それでも懐疑論があることを意識しておくことは必要であるように思う。
繰り返しになるが、この本も温暖化対策が全く不要だとは言っていない。技術開発とイノベーションの重要性は説いている。ただ、2050年カーボンゼロをお題目のように唱えて、金科玉条とすることは危険だとしているだけだ。何となくそちらが賢明な気がする。
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