爪坂真吾『モテない中年』 自由を行使し選択的に不自由を選びとれ

読書

みなさん、こんにちは。

今日は、爪坂真吾さんの『モテない中年 恋愛格差と孤独を超えて』をご紹介したいと思います。

このチャンネルでは、主に本を読み終わった方を想定して内容を紹介していくので、ネタバレを望まない方はブラウザバックをお願いいたします。それでは始めましょう。

この本は、テーマ設定が明確です。

私たち中年男性が「モテる/モテない」の呪縛から解放され、性的孤立と社会的孤立を回避したうえで、自分らしく生きるにはどうすればいいのか?

そして、答えも明確です。

自分を一番自由にしてくれる不自由を探すこと

と結論づけています。

他者とかけがえのない関係性を構築することは、理不尽・非効率・不平・不満が前提となる。自分の好きなことだけをやり、自分の好きな人とだけ付き合う。それは確かに自由かも知れないが、本当にそれが、最初の問い、つまり「モテる/モテない」の呪縛から解放され、性的・社会的孤立を回避して、自分らしく生きるにはどうすればいいのか?に対する答えなのだろうか?

自由それ自体は大事だけれども、制限なき自由・制約なき自由は、自由落下(フリーフォール)に過ぎず、落ちて死ぬだけである。制約があるからこそ自由が意味を持ち得る。という主張ですね。爪坂さんは、自由にしてくれる不自由の例として、子育てや介護をあげています。

みなさん、どうでしょうか。現代は、人類の歴史上最も個人の自由が認められている時代のように思いますが、自分の意思で選んだものよりも、自分の意思では選べなかったものや、所与の前提として与えられたものの方が、自分の人格形成に大きな影響を与えている、ということがあるでしょうか。

歌手の宇多田ヒカルさんは、NHK MUSIC SPECIAL のインタビューで、「当たり前に全部与えられちゃったものより、すごく欲しかったのに手に入らなかったもの、与えられなかったものの方が私を豊かにしてくれたんだなって今は思えます」と答えたようですが、そんなエピソードを思い出しました。

私自身は、爪坂さんのいうことも何となく分かるのですが、自分で選べなかったもの・選ばなかったものは、他責思考になりがちで、結果に対する責任を自覚しにくいように感じます。他人や社会のせいにしてしまうんですよね。自己の責任において自由を行使し、決定し、選び取ってこそ、その結果を自分の責任として受け止められるのではないでしょうか。

しかし、自由な生き方を選んだ結果としてモテる/モテないの呪縛に囚われ、性的・社会的に孤立し、自分らしく生きられない、という事態は避けたい。その意味で重要なのは、

自由を行使し、選択的に不自由を選びとる

ことではないでしょうか。その代表例が、結婚であり子育てではないかと思います。

このことは、爪坂さんが答えとして提示している「自分を自由にしてくれる不自由を探せ」、つまり不自由こそが自由をもたらすということを、全く違うことを言っているようで、同じことをいっているようにも感じます。対偶に近いでしょうか。

爪坂さんが例としてあげている介護は、人格形成に大きな影響を与え、人生を豊にしてくれるかも知れませんが、選択する余地がないという意味で、この例には該当しないと思います。また、望まない経済的な貧困も該当しないと思います。

話題は変わりますが、なぜこの爪坂さんの本を読もうと思ったかというと、爪坂さんの『みいちゃんと山田さん』の書評がすごく良かったからです。他人を救うということは難しいしおこがましい。しかし、結果的に救えなかったとしても、積み重ねた一瞬一瞬は嘘ではない。みいちゃんは山田さんがいなければ、浴衣で花火を見にいくことはなかったのだから。例え悲劇的な結果が待っていたとしても、その一瞬には価値がある。といった感じでしょうか。

強いですよね。優しくなければ強くなれないと言いますが、この方の優しさ・強さ、そして厳しさも感じられる書評でした。『モテない中年』でも同じことを感じました。

本日は以上です。また次の読書でお会いしましょう。

 

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