『明日、私は誰かのカノジョ』 「他人の視線」という宿痾。しかし、そこから自由になる必要があるだろうか?

漫画

他人の視線と自分の価値観の間で

『明日、私は誰かのカノジョ』の第5章「洗脳」の主人公である留奈は、大学を休学し高級ソープで働いている。彼女にとって、相手のために偽りの自分を演じる風俗の仕事は嫌悪の対象ではなく、「稼ぐ手段」として割り切っている。稼いだ金は整形をするでもなくホストに貢でもなく、投資信託に積み立てている(証券会社からのメールが映るコマがある)。

しかし、留奈が配信者の彼氏・隼人と出会ったことで、その意識に微妙な変化が生じる。隼人は、風俗嬢としての「伊織」ではなく、「留奈」という一人の個人に好意を寄せてくれることで、留奈は偽りの自分を演じて体を売る仕事に疑問を覚え始める。

以前は何の疑問も感じなかった風俗の仕事がキツくなる

 

一方の隼人は、配信者でありながら嘘がない。イケメンでスタイルがよく、実家が太く健やかに育った隼人は、誰にでも優しい。相手のために偽りの自分を演じていない。留奈も隼人のそんなところに惹かれたわけだが、あるとき留奈がSNSにあげた写真から「彼女がいるのではないか」と疑念を招き炎上してしまう。

隼人は、ここでリスナーに対して嘘をつく。自分が写り込んだ写真は、高校時代の友人の交際相手が撮ったものであり、その女性と2人で会った事実ではないと、真っ赤な嘘で塗り固めた配信で炎上の幕引きを図る。他人のために、偽りの自分を演じることになる。

嘘をついて炎上の沈静化を図る隼人

留奈と隼人のすれ違い

留奈は当初、他者の価値観に合わせて偽りの自分を演じることに疑問を覚えないが、隼人と付き合うことで、自分自身の価値観に従って振る舞うことを望むようになる。

一方、隼人は逆である。当初は自分自身の思うままに活動してきたが、留奈と付き合うことで、他者の価値観に合わせて偽りの自分を演じていく。このすれ違いによって二人は別れることになる。

貨幣とは鋳造された自由である。しかし

留奈は、隼人と別れた後、炎上騒動が務めていた風俗店に延焼し、ソープを辞めることになる。しかし、仮に炎上しなくとも、隼人との関係を経てしまった後では、もう以前のように風俗の客に都合の良い偽りの自分を演じることはできない。

稼いだお金は誹謗中傷者への裁判費用で溶けていく。開示手続きは順調だが、留奈の心は晴れない。その理由は明白だ。留奈は自分が本当に求めているものは、金銭的な自由ではないことをもはや知ってしまっている。

お金で買えない価値がある

「他人の視線」という宿痾。しかし、そこから自由になる必要があるだろうか?

トイレ掃除が仕事の中年男性を描いた『PERFECT DAYS』の主人公である平山は、他人のために誰かを演じることに疲れ拒否した。彼の生活は、自分の価値観に従い、無駄なものがなく、簡素で、必要を突き詰めた機能美のように美しい。

一方、『明日、私は誰かのカノジョ』に出てくる5人の女性は、いずれも誰かのために自分ではないカノジョを演じている。欲にまみれ、恨み恨まれ、他者との関係性の中で擦り切れている。

しかし、『明日、私は誰かのカノジョ』を読むと、『PERFECT DAYS』は他者の視線という呪縛をやや軽視しているように感じられる。自己と他者は、コインの表裏のように一体であり、自我のある人間にとって他者の視線とはほとんど治療不可能な宿痾と言って良いだろう。

『PERFECT DAYS』には「こんなふうに生きていけたら」というコピーが付いているが、私はむしろ『明日、私は誰かのカノジョ』が描く女性たちを羨ましく感じた。そして、少し前を向ける気がする。

 

補論1 留奈と隼人の共犯関係

留奈は、自分が隼人とうまくやれるのは、自分がソープで色恋営業をして金を稼ぐ一方、隼人も配信者としてリスナーに虚像を示してスパチャを煽る教祖ビジネスに手を染めている「共犯関係」にあることだと考えている。

留奈が2人の関係に必要と考える共犯関係という「バランス」

 

しかし、隼人にはその自覚がない。隼人の行為を洗脳だという留奈に対し、隼人は「誰かの好きを否定する権利なんて誰にもない。」と否定する(実際には、心音という沼ったファンを生み出している)。そして、そう反論する一方で、真っ赤な嘘で塗り固めた配信で炎上の幕引きを図る隼人には、悪意も自覚もない(留奈と別れた後、それでも信じるというファンからのメッセージを見て、最終的には自身の行為の意味を自覚していく)。この温度差が留奈が別れる決断をした要因である。

留奈にとっては「洗脳」だが、隼人にとっては「本気で好きなこと」

補論2

留奈が、自分の求めていたものが金ではないと気付き、

補論3 

桐野夏生の『グロテスク』は、他人の価値観に翻弄されて”怪物”へと変貌し、破滅へと突き進む3人の女性を描く。

ミツルは秀才でありながらカルト宗教にはまって殺人に関与し、和恵は一流企業の総合職として働く傍ら立ちんぼとして数千円で体を売り、そして主人公である私は最後まで自分の欲望を肯定することができない。

和恵の遺書となった日記を差し出して、ミツルは言う。

あなたもあたしも同じ。和恵さんも同じ。皆で虚しいことに心を囚われていたのよ。他人からどう見られるかってこと。(中略)その意味で言えば、誰よりも一番自由だったのは、ユリコさんよ。あの人は違う星から来たのではないかと思うほど、開放されていたし、自由な鳥のようだった。(中略)あなたがユリコさんに劣等感を抱いて止まなかったのは、ユリコさんの美しさだけではなく、あの人の自由さが、あなたにはどうしても得られないものだったせいかもしれない。でも、あなたはまだ遅くない。あたしは罪を犯したから、これからは懺悔の余生だけど、あなたはまだ遅くないのよ。お願いだから、これを読んであげて。

『明日、私は誰かのカノジョ』の5人の放つ輝きも、他人の価値観から自由になろうとする過程である。

 

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